新年初のブログに何を書こうか考えていました。昨日法友の真由美さんとお話をさせて頂き、自分の感じた事を書いたらいいと背中を押していただいたので、今日も私の事を書こうと思います。

 

 

 

去年、瀧本先生が法話会や真解学で多く教えて頂いたのは幼少期のルール。私には多くのルールがあるのはわかっているが、今年はルールの書き換えをしたいと思っているのでコミットをする上で書きたいと思います。

 

 

瀧本先生からすると間違っているかもしれないが、私は女性として生きてはいけないと思っていた。小学一年生の時に弟が生まれ、それまではフリルのスカートを履いて遊んでいた記憶がある。弟が生まれてから私は姉なので弟の世話が私の役割になった。それが私にとってはすごく嫌で、例えば、今まで全部食べれていたお菓子も別けなければいけないし、もっと嫌だったのは私は女子なので今までやらなくて良かった家事手伝いをしなければいけなくなったこと。

 

いつも母は家事をする時『めんどくさい。やりたくない』と嫌々やっていて、私には家事がとてもめんどくさく、やりたくないものだと思っていた。なので『どうしてお母さんだけご飯を作って、お父さんはしないの?』と率直に聞いたことがある。母の答えは『女性だから。だからお前もやるのよ』と機械的で無機質な回答だったのを覚えている。

 

それから弟が小学校に上がると、私は中学生になり小学生の弟には友達の家に泊まりに行ったり、門限などないにも関わらず、私には門限もあれば自由はなく、ただ女というだけで家事をしなければいけないし、弟の成績が悪ければなぜか姉の私のせいになる。意味がわからない。なぜ弟の成績が私のせいなのか。私のせいではなくあなたの子だからだ。そしてさらに意味がわからないのは、男はどうにでもなるから勉強しなくてもいいし、男は厳しく育てるとダメだから自由に育てるという父の教育方針。なので、弟はいつまでもTVゲームをしてもいいし、お小遣いがなくなれば親からお金がもらえるが、当然のことながら、私は全て逆で自由などなかった。私に自由がないのは女だから。私は本当にそう思っていたし、世の中戦いの私にとっては男に勝たないとと思った。

 

それに関連しているかわからないが、毎日両親の愚痴を話すが自分の相談ごとなどは人に話さず全て自分で決めていた。多分、私は両親に相談をしたり何が欲しいとか、自分がどんな友人と遊んでいてなど自分の話なども一切したことがない。

 

そんな私は、女の子らしい女性を見るとイライラするようになっていった。私がいう女の子らしいというのは、フリルのスカートを履いているような、か弱そうな、何か困ってそうな女子のこと。私が感じる私とは真逆な感じの女子。私にはそういう人も敵だった。

 

去年の先生の話を伺うまでは、そんな嫌いな女子に自分が本当はなりたくて、その事に蓋をしているからイライラしているなんて信じたくないし、認めたくなかったけど、ここまで学んでいると否定する根拠もなくなり認めるしかなくなってくる。

 

なので、今年は自分に出来ないことなどは人に頼ったり、女性らしく生きるというのがどういう意味になるのか、今の私にはよくわからないのだけど、女性らしく今年は振る舞えたら、女性で生まれて良かったと本心で思えるような一年を過ごしたいと思う。具体的な行動はよくわからないけれど、今日起きてこの事を書きたいと思ったので率直に書いてみました。

 

皆さまにとっても、素晴らしい変化のあるワクワクの一年になりますようにおせち