瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
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今日は昨日までの話が変わります。
先生:「全然違う話をしてもいい?」
全員:「どうぞ
」
先生:「仏教は怒りがテーマの学問だからね。みんなに言っておいた方がいい話があって、怒りを手放す時のコツって今までたくさん一緒に勉強してきたけど、手っ取り早い怒りの手放し方がある。チョー手っ取り早い。それは。。。
<私>という主体をなくすこと
自分の心から。」
年美さん:「私という主体をなくす
」
先生:「私っていう主体をなくすと突然怒りが消滅しだす。」
全員:「![]()
」
先生:「どういう事かというと、例えば年美ちゃんの携帯電話が取られた。または落として割れた。私の携帯誰か取ったではなくて、誰かが携帯を取った。<私>というモノは世の中に本来なくて事象だけをみる。
人が私を馬鹿にしたではなくて、人が人を馬鹿にしているとなると急に傍観できる。<私>という言葉を外すというやり方がある。お釈迦様が仰っていたのを急に思い出した。だから、<私>ではないモノの見方をしなければ感情が執着から一気に遠のく。」
全員:「なるほど
」
先生:「みんなに今日差し入れでおいなりさんを持ってきたの。『じゃぁ、これがのんちゃんのね。これが年美ちゃんのね。』っていうように、あなたのモノって言った瞬間に陽子さんが年美ちゃんのねって言ったおいなりさんを食べちゃったらどうする?」
年美さん:「それ私のです
って言います。」
先生:「私という言葉を外して物事を見るとすごく中立に物事が見える。真理が見える。」
陽子さん:「それは自分を主張しないという事ですか?」
先生:「主張でなく執着を手放すって感じかな。<私>がつくからややこしい。ここにあるおいなりさんを食べた。でよくて、私のおいなりさんを食べたになるとややこしい。別にどれも一緒なんだけどね。これが私のだ!と認識した瞬間にそれを触られたらすごく嫌。」
年美さん:「確かに
コレをやったらいいですね
」
先生:「私のおいなりさんじゃなくて、おいなりがある。そうね。私のって意味付けだものね。それを侵されるとすごく悔しいよね。おいなりさんが5つある。5つだから5人で5つなんだけど陽子さんが2つ食べた。以上!」
陽子さん:「私の家族と思うからややこしくなるんですね。」
先生:「それも仏教では厳しく戒めているんです。私のという所有は違うと。5歳の子供。40歳の夫。私の主人。私の家。私の車ってなってくるとややこしい。私の車が当てられたではなくて、車と車が当たった。以上!みたいに真実だけを見る。」
年美さん:「それで、どうしたらいいのかを考えていけばいいという事ですよね。」
先生:「車と車が当たったならまず警察を呼ぶ。私の車が当てられたとなると怒りが先に出てしまう。いくらかかったと思ってるの
っていうような話になっちゃうけど、車と車がぶつかったとなると冷静になれる。これが所有格が生まれてくるといかに優位に持っていくかという事が働く。相手を下げていかに自分が優位に立つかってなっちゃう。私を外すというやり方がある。急にこの話を思い出したの。」
年美さん:「このお話すごいです
」
先生:「これも縁起だったのよ。」
全員:「そうですね!すぐできるからいいですね。」
先生:「是非ともお試しください
では、この辺りで今日の一曲目は。。。」
区切りがいいのでこの辺で![]()
<私>をなくして事実だけを見るというのは、以前通っていたセミナーでも習っていて、その時の例が私のお金が盗まれたではなくて、お金が盗まれただけ。で、ただそれだけです。みたいな話をされたので、『そのお金が大金じゃなかったらそうかもしれないが、大金盗まれてそんな風に思える人がいたら変態だと思います
』とそのセミナー講師に意見を言った事があります。自分を外せて物事が見えるものと見えないものがある気がすると思って質問したら、その講師は『悟っている人は変態なんです
』って言われて、なら悟りたくないなぁとセミナーを受けながら感じていたことを思い出しました。
先生の例え話ならわかりますね。きっとそのセミナー講師も怒りに囚われてしまう事を言いたかったんだなぁと今なら思います。その時の自分と変わってないなぁと思うのは、やっぱり自分なしで思えるのと思えないのは金額によるなぁというところ。。。物欲ですかね。人に悪口言われたりしても気にならないのでドンドン言ってくださいと思うのですが、お金が絡むと自分を外せないかもしれません。多分人によってこだわりが違うから自分を外せない分野も人によって違うかもしれませんね。。。