先日大阪のソモサンセッパ講義中に親子関係についての話となり、親を嫌う子供の話になった時、私の右隣に座れたご婦人が私に『あなたもご両親の事嫌いなの?』とほほ笑みながら話しかけてくださった。あの場にいた過半数の方は私の事をご存知だったようで、ご婦人もブログやラジオで私の事をご存知だったのでこの質問が出たんだと思う。

 

 

「私は嫌いなんじゃなくて恨みの対象が両親です。なので、皆さんが仰っている”嫌い”とは濃度が違うと思います。」と、私が話すと、小さな会場にギュウギュウに詰まっていた十数名の参加者が一瞬騒ついた。あの場にいらっしゃった方は、中学・高校生の娘さんを持つ親御さんが参加されていたので、自分の子供がそう思っていたらどうしようと思われたのかどうかわからないが、皆さん目を丸くして驚かれていたのを覚えている。

 

 

この頃よく感じるのだが、皆さんが仰っている”嫌い”と私が言っている”嫌い”の温度差がかなりあるのがわかってきた。なので、きっとこの”親を恨む”という事に関してもきっとイメージがつかないんだろうなぁと思い、ちょっとだけ私の話をさせていただいた。多分、親は子供が会話をしないので自分がどれほど恨まれているか知らない。だから、もし親子関係の風通しが悪いのであれば私のような子供が最悪完成してしまうかもしれませんよ。と思いながら私が専門学校生の頃のお話をさせて頂いた。

 

 

 

 

私が専門学校生の頃、父が胃潰瘍で入院した事がある。私からすると毎晩お酒に飲まれるほど飲んで帰ってきてくるので、そりゃそうなるだろうなぁ。それこそ自業自得だね。なんで入院なんだろうなぜ死ななかったんだろう。憎まれっ子世に憚るって言うが本当だなと、当時の友達によく話をしていた。当時の私は酒乱の父がいなければ、家庭が平和になると信じていた。離婚したいと言っている母の願いも死別という形で達成できるし、私ももう殴られることはない。当時の私は父の死=平和だと本当に信じていた。

 

 

なので、父の心配はそれよりも父が家にいなくなる事でワクワクしていた。やっと平和が訪れる!例えば、毎朝父は”オェ”と吐きそうになりながら歯を磨くので、朝から不快な気持ちでスタートする。これで朝気持ちよくスタートできるなぁetc..

 

 

そんなルンルンしていたら、母が神妙な面持ちで「お見舞いに行くわよ」と言い出した。私の頭は???が飛び交っていた。その時に「なぜ私がお見舞いに行かないといけないのですか?」と母に聞いた。本当に意味がわからなかった。私の中でお見舞いというのは、健康になってほしい人を力付けるために行くのであって、死んでほしい人に会いに行くのは間違いだし、そもそもあった時に「なんで生きてるんですか?」とも聞けない。なんて声をかけていいのかわからない。

 

 

すると母が「お前は変よ。娘だからでしょ。」と言うので、娘という役柄は父が入院したらお見舞いに行くのがルールなんだな。なるほど、なら行きましょう。という事で行ったのを覚えている。でも、本当に行きたくなくて面談の最終時間ギリギリに行った気がする。お見舞いに行ったのはその1回だけ。確かに母が言うように世間一般の常識から考えると私の行動は変かもしれないが、そういう家庭で育ってしまったんだからしょうがいないじゃんって思う。そして、その数週間後気がついたら家に父が居た。あの時のショックは言葉にならなかった。。。

 

 

この話をしたら会場に少し笑いが起きたが、ひょっとしたらあなたもお子さんに早く死んでほしいと思われているかもしれませんよ!って内心思ってしまった。親は多分子供にそんな風に思われているなんて微塵にも思わないし、大きくなれば子供が自分をわかってくれると思っていると思う。現に私の母が子供の頃そういつも言っていた。でも、それは違うと思う。大人になってわかる人もいれば、私のようにわからない人もいる。

 

 

いま仏教を学んで、父があの時死んでいてもきっと恨みの濃度は変わらなかったというのがわかったので、心が少し軽くなった気がする。でもやっぱり、子供を力で押さえつけていると子供は離れていきますね。老後面倒みてほしいと思うなら力で押さえつけないのが一番だと思います。親子も他人の始まりですからね。ただ血が繋がっているというだけで安堵し力で押さえつけているとレアケースですが私みたいに恨まれちゃうかもしれません。もし、身に覚えのあるかたはお気をつけを。