では早速昨日の続きから。。。
先生:「もし、私が師匠つまり先生という立場だけで生きていたら色んなことを勘違いしていく。ところが私が弟子。師匠の前に出て行ったらけちょんけちょんに言われる弟子だから弟子という思考でみてみる。今であればトヨ達の前でいるときは先生だけど、先生という思考で喋らないように極力していて、例えば師匠の弟子という感覚で話をしてみたり立場ってスイッチできるのね。」
トヨさん:「そうですね。」
年美さん:「自分が変わっていけばいいって事ですね。」
先生:「いつも思うのは、例えば妻という立場を考えるときは夫を意識した立場だよね。だから夫に対して腹がたつ。けれども、夫の前で友人という自分で接してみる。すると絶対に楽しいし楽しくできる。人が思い悩んで苦しくて思考回路がガッチガチになるときというのは考え方がガチガチになっている。つまりどういう事かというと、自分というのはたくさんの立場を持っているんだけど、どれかの一個の枠でしかモノを見ていなくて誰と接していても一個の自分の枠だけで接してしまているという事があるからね。一日24時間の中であなたは誰ですか?最も多い時間はあなたは誰になっていますか?」
全員:「う〜ん![]()
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」
先生:「本当は順にいろんな自分になって、いろんな自分を理解できていて色んな人から支えられているなぁっていう感謝ができる視線を持っていないね。自分が妻という意識の中で生きていくと、色んな人から支えられて生きている事は多分わからないし、母だけの価値観で生きてしまうと娘に対して子供に対するイライラしかない。
けれども、順番に私は妹であり、娘であり、友人であり、客であり、弟子であり、師匠でありとか順番に世間に関わっている形を1つずつ理解して全部の思考をちゃんと理解して回していれれば、たくさんの人に支えられてもらっているなぁっていう事を忘れないでいける。」
トヨさん:「はい。この教えがすごく印象深かったんです。それはなぜかというと、この前先生からおみくじを引かせていただいて、
群盲象を評す
を頂いたんです。それも同じ意味だったんですね。あぁ、やっぱりコレか!と心に響きました。」
先生:「これは以前ラジオでも話していると思います。群盲というのは目が見えない民衆という意味で、目の見えない方達が象に触らせて耳を触った人は『まるで鍋の蓋のようだ』といい、鼻を触った人は『まるでホースのようだ』と言い、足に触った人は『まるで柱のようだ』と言い、尻尾に触った人は『まるでホウキのようだ』と言った。
実際に象を見ていない人に一部分だけ触らせて実際どんな動物だと思うかって聞いたら『象ってこんなホースみたいなんだ』と言うと『お前馬鹿じゃない?象は柱みたいだよ』と誰かが言い『柱
お前馬鹿じゃない?象ってホウキみたいだよね?』というように、みんなが一部分しか見ていないのに、さも全てを知っているかのように人は今自分が体験した事だけを真実としてみてしまう。
けれども、それは一部分であってホースの人もいれば柱の人もいる。ホウキだと言う人もいれば鍋の蓋のようだと言う人もいるなら、それらを全部取り入れて立体的にモノを考えるという事をしないとダメだよという話なのね。
ここで気をつけなければならないのは、この群盲って目の見えない方を集めて象を触らせたところ各々が評価をしたんだけど、目の見えない人っていうのは<あなた>のことですという事なの。実際に目の見えない人の事ではなくて、真理に目覚めていない人のこと。その人を群盲と言っていて、各々が主張すると喧嘩になるよね?
だから、そうじゃなくて全ての人の立場から全ての真実をみているから、自分の角度の真実だけではなくてみんなが体験して、みんなが知り得た情報を立体的に奥行きを持って物事を見ていかないとダメだという言葉がおみくじで当たったのね。」
トヨさん:「はい。気をつけないといけないなぁと思います。。。今のお話ですとABCDの4つの意見があったと思うのですが、先生のお話ですと4つの意見ではないXを探すということ。4つの中からではなくて5つ目のXを探すんだ!って思ったんです
」
時間がないのでこの辺で![]()
昨日職場の後輩にいつも怒鳴ってしまうので謝ろうと思ってちょっと茶化した感じで謝ることは出来たのですが、その4時間後私の中ではちょっとした事件があって、より後輩を怒鳴るということがありまして、本当にうまくいかないなぁという感じです![]()
ラジオの内容と自分の状況を照らし合わせると、自分の意見だけを押し付けていたように思います。今日は後輩の話を聞くところからチャレンジしたいと思います。