昨日の講演会でのお話の続きからです。
先生:「いつも講演会で最近言うけれどこの3日以内に人から施してもらった事ある?って最近よく言う。この間メチャクチャ面白かったのが『先生!三日以内ならないですね
』って言うのよ(笑)『え
三日以内で本当に施してもらった事何もないの
』って聞いら『無いですね
』『じゃぁ、猶予を与えて1週間ではどう?』『一週間でですか?人から何かをやってもらった事ですか。。。無いですね
』」
全員:「![]()
![]()
」
先生:「さ、最悪。。。最悪な人だなって思って
『じゃぁ、今月ならどう?』『今月ですか?何があったかなぁ![]()
![]()
ちょっと待ってくださいね。』って言うような会話があったのよ
」
年美さん:「そんなに見つからないんですね
」
先生:「今日、みんなどんな施しを受けた?」
れい子さん:「された事というかお礼を言われました。息子から。」
先生:「息子からお礼を言われたの?」
れい子さん:「息子が国体に向けて福井の方に行ったんですけど、それにあたって色々準備して、これが最後の大会になるので息子が出かけるときに『色々ありがとう』って言ってくれたんです。」
先生:「チョー嬉しいね
」
れい子さん:「そんな事を言うようになったんだなって。。。」
先生:「ではこの施しを何と言うでしょうか?」
れい子さん:「言辞施(ごんじせ)です
」
先生:「素晴らしい![]()
![]()
」
トヨさん:「私は何かなぁって思っていたんですが、わたし犬のウンチのブログを書いたんですね。そのウンチで実は気づきがあったので、そのことが犬から施してもらった事ですね。」
先生:「何を施してもらったの?」
トヨさん:「犬の散歩が大好きなんですね。リラックスタイムなんです。いつも犬がウンチした後機嫌よく”早く取ってね
”みたいに犬が待ってるんですね。ウンチを取るときの自分の気持ちは”はいはい。今日も綺麗なウンチ出て良かったね
”って喜んで始末するんですね。まるで赤ちゃんのオムツを変えるかのように。汚物という感覚が全くないんです。
ただ、もし横に違う犬のウンチがあったらこれは”汚ったない!!”って思うんですよ。絶対拾えない![]()
![]()
やっぱり出来ない。。。」
先生:「でも拾うんじゃない?」
トヨさん:「でも、綺麗なウンチだねって喜んでは拾えないですね。見てしまったから仕方ない![]()
![]()
って汚物扱いで拾うんですよね。」
先生:「意外とトヨはできるんじゃない?」
トヨさん:「出来ないですよ。。。拾わなきゃいけなくなるので、私の目の前に現れないで下さいって思っていますね。なので、どれくらい自己都合でウンチはウンチなのに、これは綺麗なウンチ、こっちは汚いウンチと自分がどれだけ分けてるかってビックリした時にそう思ったんですよね。」
先生:「それを仏教では不垢不浄(ふくふじょう)と言います。」
年美さん:「はじめて聞きました。」
先生:「汚くもなく不浄なものでもないっていう事なんだけど、ただそこにあるだけで汚いものでもなければ綺麗なものでもない。例えば、ここにおむすびがあったとするでしょ?『おむすび食べる?』ってテーブルに置きました。テーブルに置くくらいなら何とも思わないでしょ?」
全員:「はい。」
先生:「でも、おむすびをゴミ袋の中に入れたとするじゃない?それだけで、おむすびをみんなはすごく汚く見えてしまう。テーブルの上に置いていたら何とも思わないのに、それがゴミ袋の中に入れただけで『食べちゃダメ
』ってなっちゃう。
周りの関係性で、モノの綺麗・汚いの見方が変わってしまう。元々のおむすびは何処にあってもおむすびなんだけど、でもそれがゴミ袋という認識のモノの中に入れて『は〜い
』って渡されたらビックリするでしょ?
だから不垢不浄というのは、周りとの総合的なモノで変わっているだの話で、それ自体は何も変わってないの。」
全員:「なるほど![]()
![]()
」
今日は区切りがいいのでこの辺で![]()
不垢不浄のお話を聞いて、全く仰っている事と違うかもしれませんが、学生の頃人気者のグループがあって、そのグループに入っているとイケてる感じに見えて、入っていないとイケてないみたいな事があって、その人自身は変わってなくて、ただグループに入っているかどうかで、バレンタインでもらえるチョコの数が変わったりしているのを側から見て、なんか変だなぁって思っていたのをなぜか思い出しました。
私は子供の頃から、そういう肩書きっていうのかわかりませんが、それよりも個人のキャラ重視だったので、すごく違和感があったのかもしれませんね![]()