今日は他人鏡があてにならない理由からです!

 

 

 

 

先生:「他人鏡というのはアテにならない。それは他人自身が変わるからなの。例えばれいちゃんが元気に踊っている。それを見た私が”れいちゃん大っ嫌いプンプン”って言ったとしても、次のタイミングでれいちゃんに会ったら、れいちゃんは大人しくなっているかもしれない。”何で今回はおとなしいのプンプン”って思うのか、”前は嫌いだったけど、今日のれいちゃんは好きニコニコ”ってなるかもしれない。

 

他人鏡で見ると、対象が安定しているものではないので、それによって自分を見ることって意外とできない。ところが法鏡という法は2600年前から1度も変わってない。常にそれと照らし合わせて自分を観る事ができる。

 

毎回違う話ということではなく、半年に1度同じ話をよくするんだけど、すごくシンプルな言葉。必ず言うのが

 

 

愛語施

和顔施

 

人生、笑顔と思い込み

 

 

 

この2つがあったら人生なんとかなるよ。人生の旅に出かけるカバンにこの2つ!笑顔と思い込み。これを”やっぱりそうだなぁ”っていう日もこれからもあるわけよ。何百回も聞いているのに。でも、それがスルーされていく日もある。でも、またその次に落ち込んでいたら、人生やっぱり笑顔と思い込みだなって心に響く。

 

法鏡は同じ事を言っているけど、こっちが揺さぶられていくよね?ターゲットが一緒だから、常に自分の心がどういう状態かがわかる。だから法を勉強していくと、どんどん自分の暗黒性が手放せる。そうすると主人公が出てくるっていう教えなの。いるかなぁ主人公爆  笑」

 

 

 

 

全員:「爆  笑爆  笑爆  笑」

 

 

 

 

先生:「さて、ここから話が変わりましておさらいのコーナーにいきたいと思います。」

 

 

 

年美さん:「お釈迦様の弟子にアヌルッダさんと言うお弟子さんがいらっしゃったんですが、そのアヌルッダ君が修行している時に、先輩の修行僧が来て『アヌルッダ、布施業が大切なのだから俺に1つ布施をしろ!』って言ったんです。そうしたらアヌルッダ君が『えハッ何をお布施するんですか?』って聞くと、『目を2つ持っているんだから目を1つよこせ!』って言ったんですね。アヌルッダ君は『えビックリマークビックリマークビックリマーク』ってビックリしたんです。『1つしかないものをよこせと言っているのではない。そんな事もお前はムカムカ』って先輩に言われて、すごくアヌルッダ君は悩んだですけど、自分の片方の眼球に手を突っ込んで彼に差し出したんです。

 

凄いですよね!!そうしたら、その先輩は『お前の目はこんな汚いものなのか。こんなものいらないムカムカ』って言ってアヌルッダ君の目の前でその目を地面に叩きつけて踏みつけたんです。

 

それをアヌルッダ君は”許せないムキームキームキー”って思って、お釈迦様の所に行って『先輩はこんなひどい事をしたんです。だから許せません。どうかお釈迦様彼に言ってくださいムキーッムキーッムキーッ』って言ったら、お釈迦様はアヌルッダ君に注意をしたんです。」

 

 

 

 

先生:「アヌルッダ君の方に注意したのね?」

 

 

 

 

年美さん:「そうです。アヌルッダ君の方を注意したんです。それは『自分が施したことに執着するような人間は施しはまだ出来ない。施したのなら、相手に一旦渡したのなら相手がどう使おうがお前が関するところではない。布施をするということはそこまでの精神をくっつけて布施業なんだ。布施業とはそいういうことだ。』って仰ったんです。

 

このお話はすごく衝撃的で、譲るとかっていうのはなんとなく自分でラインを決めているような気がして、ココからココまでだったらいいかなぁとか。。。この話を聞いた時に、目を取るという教えが衝撃的だったんですけど、そこに最初気持ちが入って”目を施したのに!?”って思っていたんです。このお釈迦さまの言葉を聞いた時に”あ!そこまで布施としてるんだな。そこから先は自分が関与したらダメなところなんだなって。それは大小関わらず。全て自分が手放したらそれは相手のものなんだ”っていう事が、この衝撃の教えの中に大きな意味があるなぁって思ったんです。」

 

 

 

 

先生:「たぶん、この話は私が作った映像で聞いたと思うの。あれは私リアルに伝わるようにベチャっドロって書いた記憶があるの。」

 

 

 

年美さん:「リアルで気持ち悪かったですえーん」

 

 

 

先生:「頭に焼き付けてやろうって思って爆  笑 その目をくり抜いて差し出したやつを、まるでそれをわらび餅みたいにベチャっと地面に投げつけて『こんな汚いならいらない』って足で踏みつけたっていうのは、そりゃ怒るよね?」

 

 

 

年美さん:「怒りますよ!そりゃヒドイ!!」

 

 

 

先生:「そりゃ酷いよね?酷いのにお釈迦様に泣きついたら『汝が愚かだ』と言われてしまう。つまり施したものを相手がどう使おうが、それは相手の課題であって施せたというところで終えたらいいんだ。っていう事。」

 

 

 

今日は時間がないのでこの辺でバイバイ

 

 

お釈迦様からのお話を聞いてアヌルッダ君はどう思ったんだろう?というのと、私がアヌルッダ君だったら、私も先輩の目をくださいって言っているかもしれないなぁと思います。たぶん、上下関係が厳しくて言えないかもしれませんが内心そう思っているか、後日暗闇で襲撃しているなぁって思います。

 

 

このお話は私も聞いたことがあり、初めて聞いた2年前は”私は相手にそんな期待してないから、私とは関係ないなぁ”と思いながら聞いていましたが、今は親しい人ほど期待している事がわかり、それが元でイライラしている自分がいるのがわかりました。特に両親と職場の人ね。なんで2年前聞いてた時に自分と関係ないと思ったのか。。。さすが愚か者だなぁと思いますが、期待というか執着は本当にイライラするだけでいいことないですね。

 

今月に入って、新人が思った以上に仕事ができないから毎日イライラして怒鳴っているのですが、まさにいまの私に必要な教えだったので年美さんに感謝ですニコニコ