昨日の自分鏡のお話からです。

 

 

 

 

先生:「のんちゃんは素晴らしい事を言ったんだけど、今までは自己紹介で外部要素を話していたの。今は自分の思考というかその捉えている思考の人間だっていう事を自己紹介する。これを法鏡っていうの。要は、法と照らして自分の事をよく知るの。だから、のんちゃんは仏教を勉強した後こういう様になりましたというのは、法鏡に照らしているからなの。凄いよねビックリマーク

 

 

 

 

年美さん:「素晴らしい拍手拍手拍手

 

 

 

先生:「自分鏡の時は、自分は◯◯に住んでいますとか、極端な話自分の身長を自己紹介で話す人もいる(笑)お父さんの名前とかね。」

 

 

 

年美さん:「ありえますよね!」

 

 

 

先生:「本当にそうだよね。外部要素を話そうとするんだけど、それってあなたを囲っている環境の説明であって”あなた”は誰ですか?って事なの。今ののんちゃんの答えは素晴らしかった拍手拍手拍手

 

話が変わるんだけど、お釈迦様が弟子に『お前は誰だ?』って聞いた時に、弟子は『瀧本光静ですラブラブ』って言うと、『それは名前だ。お前は誰だ?』すると弟子は『新大阪に住んでいます。』『それは場所だ。お前は誰だ?』『えっと。。。お父さんとお母さんの娘です。』『お前は誰だ?』とお釈迦様が何度も聞いた時に答えがなくなる。答えが無くなった一番最後の答えは何と言ったでしょう?」

 

 

 

年美さん:「外部要素を全部言った後って事ですよね?」

 

 

 

 

先生:「最後はその弟子は黙ったわけ。ずっと黙っていたの。その黙っているのは答えが出せないんじゃなくて、私はだれかという事に対しての言葉にもっての答えがないという事に気づいたから黙っていたの。これを聖なる沈黙って言ったりするの。

 

沈黙でしか答えられないこともある。『お前は誰だ』と何回も聞かれた結果弟子は黙った。『やっとわかったね』っていうソモサンセッパがあったの。だから、今のんちゃんが自分を説明する時に、今までは外部要素だったのを自分の中の事を言ったっていうのは凄いと思う。

 

この方が自分を解らないって言うけれども、まさにのんちゃんが言ってくれたみたいに、法の鏡に照らしていくと自分が凄くよく分かる。自分を知るには

 

 

  1. 自分鏡
  2. 他人鏡
  3. 法鏡

 

 

という事です。しっかりと仏教を学んでいってもらったら、いずれ必ず分かると思うんだけど、自分がわからないという事よりも分かると思わない方がいい。ただ、自分を追求していって俗世の埃にまみれてない自分というのが必ず見つかってくるんだけど、その俗世の埃に、塵に汚れていない自分ってあると思うのね。」

 

 

 

年美さん:「あって欲しいですニコニコ

 

 

 

先生:「そういう自分の中に生存しているであろう本当の塵も何もかかっていない、美しい思考の事を仏教では

 

 

 

主人公

 

 

 

って言うのね。今は主人公という言葉を、今度のドラマの主人公は誰?という様な使い方をするけど、本来は仏教の言葉で、その主人公というのは、あなたの中に存在しているあなたの一番美しい清らかな思考のことなの。無いかもしれないよてへぺろ

 

 

 

 

年美さん:「先生が見つけてください爆  笑爆  笑爆  笑

 

 

 

先生:「法の鏡に照らし合わせていくと、凄くよく自分のことが分かるの。他人の意見を聞いて他人の行動を見て、自分がどんな心になるのかなっていう事で自分を知っていくのが他人鏡なの。

 

例えば、れいちゃんがここで大騒ぎを始めた。狂った様に騒ぎ始めた。ひょっとしたら年美ちゃんは”なんか鬱陶しいえー”って思うかもしれないよね?それが年美ちゃんの他人鏡を知る瞬間。これがれいちゃんを使った他人鏡で、年美ちゃんが私はこういう時に自分は嫌だなって思う人だったんだって知る。私はれいちゃんが騒ぎ出したら、それに負けないくらい一緒に騒ぐと思うの爆  笑

 

 

 

年美さん:「負けないですね爆  笑

 

 

 

先生:「そうなの。その時に自分を知る。私ってこんな人なんだわって。その他人の行いを見たら感情が動くでしょ?その動き方があなたですよっていう事なの。他人鏡というのは自分で自分を観るよりも正確に自分を写すの。でも、他人鏡というのはアテにならない。それは。。。」

 

 

 

 

 

今日は区切りがいいのでこの辺でバイバイ

 

法の鏡に照らすってどうやってやるんだろう?って単純に疑問がわきました。何でみんなそんな簡単に理解できて実践できるんだろう?とラジオを聞きながら思いましたね。それから自分の中にいる主人公に出会いたいですね。いるのかなぁ。。。

 

あと、今まで私は他人鏡の使い方を間違えていたんだなぁと感じます。やっぱり私は常に怒っていたんでしょうね。怒る事を見つけるために他人鏡を使っていると思うのは、例えば、職場で私の周りにはダメンズ(仕事ができないと感じる人)ばっかりだし、自分の男運のなさを嘆いていましたが、これももしかすると違うのかもしれないぁと今日思いました。先生がよく『エイリアンの周りの人が大変だんだよ』と仰っていますが、私からすると”いやいや逆でしょ?”って思っていましたが、チョッピリそうかもしれないと思えた今日でしたてへぺろ