とうとう土曜日の朝が来た。朝が来てしまったのではない。前回ブログに載せたようなスクリーンショットのやり取りを先生としているものの破門されてからお会いするのは初めてなので緊張して寝れないかと思いきやグッスリ眠れ、心地よい朝を迎えた。自分でもビックリだ。当日は秋の休日の朝らしく、爽やかな朝日とそよ風が吹く絶好の休日日和だった。普段と何も変わらない身支度をしていることにもびっくりだ。多少緊張やら動揺をするかと思いきや、若干開き直りなのかと錯覚するような心の落ち着きよう。。。
私は逆視道の会場を予約しているということもあり、いつも会場には1時間から30分くらい前に到着して準備をしている。今日もいつもと変わらず同じように準備していた。そして準備をしながら心がどう動くのか気をつけて感じてみようと思っていた。時間が経過するにつれ変化が起きて来た。ソワソワして落ち着かなくなってきた。意味も無いのになんども入り口まで行ってみたり、トイレで手を洗ってみたりしていた。今思えば緊張していたんだと思う。とりあえず、何も考えず普段通りにしようと思った。先生がどのように思われるかわからないが、私ができる範囲のことは行ったと思うしそもそも許されるとは思っていないので、例え今後口を聞いてもらえなかったとしても、致し方ないが私は私のままでいようと思ったのを覚えている。
そうこうしているうちに、先生がお見えになる時間になり入り口付近で待っていると紺の作務衣姿の先生がお見えになった。自動ドアが開き私の方に先生が、キャスターを引きながらどんどん近づいて来る。開口一番
エイリアン:「先生、おはようございます。先日は大変失礼しました。」と、いつも通りの口調で挨拶した。
先生:「おはよう
」と私の目を見ながら挨拶してくださり、すぐに入口から教室へと向かわれた。
さて、ここから書くことは私の主観なのでセリフや状況が事実と違うかもしれないが私の記憶通りに書かせていただく。
先生もいつも通りに挨拶を交わしてくださったが、私にはその笑顔が少し強張っているように感じた。また、挨拶しただけですーっと教室の方に向かわれてしまったので、本能的にこのまま話さないのはダメだなっと思い、先生にこの1週間の自分の変化を短く伝えたいと思った。もしくは、口でお礼を述べたいと思ったので、どんどん私から離れていく先生をダッシュで追いかけ、手首をつかんで、
エイリアン:「私、この1週間で本当に変われたんです。イライラしていないんです。ありがとうございました
」と興奮気味に話したように記憶している。
先生:「その笑顔みたらわかる。本当に変わったんだね。」と微笑まれた。
その会話の後は、本当にいつも通りに接して頂き、その会場にいらっしゃった方で私の破門を知らない方は、私が破門されていることなど気づかなかったのではないかと思う。また、私が破門されたときに一緒にいた真由美さんだけではなく、他のメーンバーの頭の上にも
マークが表示されているように見えた。話を聞いていないのでわからないが、何でそんな風に普通に話せるの?という疑問なのかな?っと私は感じた。
なぜ普通に話せるのかというと、それは先生が物事をひきづるような方ではないし、仮に普通に話せなくなったとしても、私が引き起こした事が原因でそうなるのでしょうがいない事とある意味割り切っていたからだと思う。そして何よりも、今までどんなセミナーや本を読んでも変化しなかった自分の思考に変化が訪れたことに対する感謝しかないので、誤解を招く表現になってしまうかもしれないが、このまま破門でもいいと思っていた。そのくらいに、この出来事は私の人生の中で大きな分岐点になった。
これが私が先生に破門された経緯だ。この2ヶ月後に破門が解かれた。運が良いことに今も真解学を学ばせていただいている。ありがたい。
破門から数ヶ月時間経ってから、細胞がフワフワしていたのは細胞が喜んでいるからだと気づく。このフワフワ感は何かに似ているなぁと過去の記憶を辿ってみていていたが、なかなかヒットしない。いつもイライラしているので、心の底からワクワクした記憶なんてたぶん幼稚園くらいまで遡らないといけなかったので、ヒットするのにかなり時間がかかった。
そして、過去自分が嬉しかった時の感覚に似ているなぁと気づいてから、さて私は何で喜んでいるんだろう?と考えた。本当にそうか分からないが、私の人生で私のために真剣に叱ってくださる方がいた事が嬉しかったんだと思う。たとえ破門されて、先生とのご縁がなくなったとしても、一生のうちに1人そういう人が居たという事が嬉しかったんだと思う。0なのか1なのかは、とても大きく違うと思う。
私の両親は確かに怒ったり叱ったりしてくれたが、私が感じるにそれは私のためではなく、他人の目を気にしているからであって私の為ではなかった。両親にとっては自分の顔に泥を塗らない子供にしたいだけで、私の事などどうでもいいんだと思っていた。例えば、私の幼なじみに、同じ年の女の子がいて私はいつもAちゃんと比べられていた。Aちゃんは私と違いスタイルも愛嬌もあり、通知表も私よりも良かった。だから、いつも通知表をもらう日はいつもボコボコにされていたし、ボコボコにされながら言う母のセリフは「何でAちゃんよりもできないの?将来勉強できないと大変だからお前のためを思って怒っているのよ」と言うが、いつも人と比べての怒られ方だった。で、私はいつもどう思っていたかというと、そのセリフの裏には「どうして”私の”期待通りにできないの?だから親戚に自慢ができないじゃない」と聞こえていた。
社会に出ても、尊敬する上司にアドバイスをもらうことももちろんあるが、それも私がミスをしてしまうと上司の迷惑になるからということもあるからだなと斜に構えて思っていたので、肉親もそうんなんだし本当に純粋に私のために叱ってくれる人というのは私にはいなんだろうと思っていた所に先生が現れ叱られたので、オーバーな表現かもしれないが、得体のしれない何かが私が生きている事を認めてくれたような、私がこの世に存在していいと許可されたように感じたんだと思う。
本当にこの出来事は私の人生を変える大きなきっかけの1つになったので本当に感謝しているし、今後私が同じような体験をしたときに、先生のように寛大な対応ができるような人になりたいと思った経験でした。