今日は昨日年美さんがお話しされていた、先生が独りの時にされている会話のお話しからです。
年美さん:「先生は独りでいても楽しい。先生のように自分の中で会話をして常に自分を見つめていくことをしていきたいんです。」
先生:「そうなの。内なる私よく喋るのよ
」
年美さん:「そうなのよ。それが私欲しいんです
」
先生:「内なる私はすっごいおしゃべりなの。あのさぁって感じで出てくるの。あれ?多重人格なのかな?私の中に何人かいるのかしら?いっぱい喋ってくるのよ急に。私が集中して調べ物をしたりすると、あのさぁって話しかけてくるの
」
年美さん:「先生のお話を伺うと2・3人と会話されているじゃないですか。」
先生:「そうなの。だから集中したいって言ってるじゃん。ちょっと黙ってって言うと、バーゲンやってるよって話しかけてくるの
え?バーゲン?ってなるの(笑)」
トヨさん:「そんなことも話しかけてくるんですね
」
先生:「すっごい上手に話しかけてくるのよ。私が出かけたくなるような誘い方を知っているのよ。奴は。もう
パソコン閉じよう。もう電車乗っちゃってる
ってなるの。」
年美さん:「独りじゃないような。それがすごく不思議だと思うんです。」
先生:「それは多分ね。仏教での瞑想とか自分を探求することを徹底的にやったから、実際本当の我々の脳はそうなってるらしいよ。自分の感覚は一つじゃないから怒りん坊の自分がいたり、寂しがりやの自分がいたり、そういう色んな自分がいて、それが独りぽっちの自分がいろんな感情があるのではなくて、そういう要素の自分が内包されているというか、その怒りん坊な子が出てきたときは、いま出てくるところじゃない!っていうように、ちょっと先生的な感じで大人っぽい私が怒りん坊な私を叱ると、シュン
とするの。で、怒りん坊はどっか行くの。
こうやっていっぱい出てくる感情を大きな私は客観的に彼らを観ている。彼らは順番に色々会話している。」
年美さん:「大きな私が観ている?」
先生:「大きな私が観ている。勉強したい子が出てきたら”あなたの時間よ”って言ってその子が主人公になる。で、勉強頑張ってるけど、遊びたがりの子が出てきて”もういいじゃん。操縦席に勉強したい子がいるけど早くどいてよ”って、私の操縦席に遊びたがりの光静が乗っちゃう。椅子取りゲームで勝っちゃった。そうして遊んじゃうわけ(笑)
それを客観的に私はずっと観ているわけ。それが自己との会話。」
年美さん:「では、ずっと先生は客観的なんですね。」
先生:「めっちゃ面白いのあの子達
」
年美さん:「ちっちゃい先生がいっぱいいるんですね!」
先生:「ずっと椅子取りゲームしていて、大きな私が動き出すの
それをずっと私は上から観てる。ずっと心の中はワチャワチャしてる。」
美千子さん:「夢を造るということも客観的に観ておられる感じですか?」
先生:「そうそう。だから、主観があまりないのかな?自分の目が直接観ているがないかな?客観と主観って、主観的に物を観ているときは、そこの映像の中に自分がいないからね。客観的に観ているときは自分がいる。常に自分がいるという見方。例えば横から見ていたら私が見える。私が今自分の主観で観たらその時はどんなに探しても自分は見えない。その物の見方はややこしくなる。踏み外す。お酒飲んだら主観になるの![]()
でも、普段は街を歩いていてもやっぱり客観的に観る。本当に道を歩いているだけだけど、例えば講演会終わった後懇親会に行くじゃない?みんなでゾロゾロと大人達が大移動するじゃない?あの時なんかは本当にすごい客観的に観ていて、今のこの歩くスピードって仏教のお勉強をした後に、このスピードで歩いたら急に空気感変えてしまわないかしら?とか。普段一人で道を歩く時はメチャクチャ早いの。一歩もすごく大股で歩くの。だから、いつもの癖の歩き方だと心のお勉強した後にせかせか歩いているという風に捉える人がいるよとか。もう少しゆっくり歩きなさいって言って、せかせか歩いている自分を後ろからよく観る。
横ではなくて後ろから。後ろから見るとこういう映像になっているよね?って。もう少しゆっくり歩こう。逆にいうと一番後ろに回ろうって思ったり、あの僅かな講演会場から懇親会に行くまでの間一番客観視している。」
年美さん:「![]()
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常に瞑想的な感じですね。いつも引いて自分の事を観ている。」
先生:「多分ね。それがいいとか悪いとかじゃないのよね。」
年美さん:「毎日そのような事をされている延長上に明晰夢のこともあると思うんです。それがないと、きっと明晰夢には辿り着けないと思うんです。客観的に観るというのも仏教を勉強して初めて知ったんですね。自分の事を客観的に観るなんて誰も教えてくれないですから、仏教を知って初めて自分の事を客観的に観るってこういう事なんだ!って一個一個実践して初めて自分の心を客観的に観るという事を知ったんです。」
今日は時間がないのでこの辺で![]()
このブログを書くようになってから、私もよく自分の内面をよく観察しているねと人から言われるようになったのですが、私からすると普通の事なので良く分からなかったのですが、私も客観的に見ていることが多いかもしれません。子供の頃から現実逃避したかったんでしょうね。両親から殴られているときは、よく上から光景を見ていたような気がします。先生から破門された時も自分の姿横から見ていたし。。。
今まで両親との思い出で良かったと思えることを見つけられませんでしたが、今回のラジオを聴いていて、先生の言う客観視と違うかもしれませんが、俯瞰して観ることはできていると思うので初めて過去を認められたような気がします![]()