早速昨日の慈悲瞑想の続きです。慈悲瞑想の全文は昨日の画像をご覧ください。

 

 

 

 

先生:「今から慈悲瞑想を読んでみるね。

 

 

 

私の嫌いな人も、私を嫌っている人も幸せでありますように。。。

 

 

 

 

 

全員:「難しいビックリマークビックリマークビックリマーク

 

 

 

 

先生:「これを慈悲瞑想っていって、お釈迦様が何かトラブルがあったら毎日毎日言いなさいって仰っていたの。これは自分に危害を与えてくる人に対して、自分がグッと耐えて耐えて耐え忍べと言っているのではない。そうじゃない。

 

怒りに対して怒りで返したって苦しむのは自分だけなの。怒りに対しては手放しでしか自分は救えない。じゃぁ、今の慈悲瞑想の中にあった自分が嫌いな人、自分を嫌っている人に幸せでありますように。。。って祈るのは難しいでしょ?」

 

 

 

 

全員:「難しいですあせるあせるあせる

 

 

 

 

先生:「私が好きな人、私のことを好きだと思ってくれている人の願いが叶いますようにだったら簡単に言えるでしょ?」

 

 

 

 

全員:「言いやすい爆  笑爆  笑爆  笑

 

 

 

 

先生:「けれども、そうじゃなくてこれを慈悲瞑想っていうの。それからこんなお釈迦様の言葉もあって、

 

 

 

汚れのない人、罪のない人、清らかな人を害えば その愚か者にこそ、悪は戻る逆風に投げた微塵のごとく

 

 

って言う言葉があるの。

 

 

つまり、ポンがその時に私はそのことに関して一切心当たりがありません。どんだけ自分を見つめても、その人のことから言われる心当たりが絶対にない。その誹謗中傷に対して清らかなわけ。だから、そういう人を罵る人は逆風に向かって微塵を投げる如く、すでにその人はかわいそうな状況にいるからポンが手を下さなくてもいいってことなの。

 

だから、まず自分の日頃の行いを見て自分が反省すべきことがあるかどうかを考える。”ない!”って確信がもてたら、相手は哀れな状況に入っているから、何もポンがわざわざ手を下す必要なんかない。そんなことよりも怒っている自分のその怒りが次のポンの人生の不幸を呼ぶから、自分が嫌いな人も自分を嫌っている人も違いが幸せでありますようにって慈悲の瞑想で、怒りを薄めるという作業をするの。」

 

 

 

ポンさん:「なかなか血圧が”カー”っと上矢印上矢印上矢印上がる事も30代の頃はあったんです。周りの人がみんなそんな感じだと思ってました(笑)敵だらけで、なんでみんなわかってくれないんだろうとか、私こんなに頑張ってるのに、なんでみんなそんな風に言うんだろうって思っていた時がありました。

 

それで、胸ぐら掴んで言い返したりしてましたね。影で言われるのが嫌いだから『ちょっとおいで。文句があるなら目の前で言えムキー』って結構やってきました。

 

今先生のお話を聞くと、私も逆風に向かって砂をバンバン投げて、それを自分で受けていたんですね。。。やっぱり、ほっとく事ができなかったですね。。。私は自分で解決しているつもりなんです。話し合ったじゃん!って。あの時握手もしたじゃん!って思うし、あと、私は周りから強いと思われたかった。」

 

 

 

 

先生:「なるほど。。。」

 

 

 

 

ポンさん:「でも本当は弱いんです。それを気がついたのが去年なんですてへぺろ この歳になってようやく自分の弱さに気がついたんです。」

 

 

 

先生:「すごいじゃん!!弱さが口にできた時って強くなった時だからねグッ だから、強くなったのよ。やっと。」

 

 

 

ポンさん:「過去にぎゃーっとやっていた自分を横から観ると、なんて愚かなって思います(笑)」

 

 

 

先生:「だから、今日このラジオに呼んだのよ爆  笑

 

 

 

 

今日は区切りがいいのでこの辺でバイバイ

 

 

以前もブログに書きましたが、講演会で先生がその相手はすでに哀れな人なのだから自分が手を下す必要がないって言われていて、でも、本当に憎んでいたらそんな事言ってられないなぁと思ったし、私は中学の時にイジメられていたから、その時の事を思うとやっぱり、自分が見ている目の前で嫌いなやつが自分が想像している通りに苦しんでほしいなと思ってしまう。

 

しかし、ふっ考えると今はそこまで憎い人もいないなぁと思う。まぁ、私がそこまで深く人付き合いをしないというか、されないからだろうが、今は平和になったなぁと思いますチョキ