今週はリスナーの方からのご相談からラジオが始まります。

 

 

 

 

先生:「この頃リスナーの方からとても長いご相談をいただくことになりました。よく似たご相談内容が重なりましたからラジオでお答えしようと思います。いきなりなんですがご紹介したいと思います。」

 

 

 

【ご質問内容抜粋】

光静先生、いつもブログを拝読しラジオも大切に聞かせていただいています。先生へこうしてメッセージを送ることは、とても勇気のいることなのですが、思い切って送らせていただく事にしました。

私は45歳独身です。生まれも育ちも石川県で、今は映像編集の仕事で生計を立てています。それなりに努力をし周りの信頼も得て大変なこともいっぱいあったけれど必死に生きてきました。

 

でも、どうしても過去の憎しみに囚われてしまい、いまの人間関係がギクシャクする事に緊張を覚えるのです。どうかアドバイスをくださいませ。

 

お恥ずかしいお話ですが、私は1つ年上の兄からずっといじめを受けて生きてきました。そのことは親に隠してきました。4歳の時両親は離婚。母が出ていき父親との暮らしとなった後、毎晩仕事で遅くなる父の帰りを待つ間兄は私に『お前は価値のないやつだ』など酷い言葉を言われて聞いてきました。

 

大人になって振り返ると、その言葉を払拭すべく必死に自分の価値を付けようと、資格をとったり、お金を貯めたり、着飾ったりと背伸びをしてガムシャラに努力をしてきました。そんな時先生を知りとても勇気をもらい憧れ先生のように生きたいと思いました。先生のようにというのは、いつも笑顔で楽しく仲間に包まれ他人を愛し人に優しく、そして自分らしくという解釈から出た言葉です。

 

厳しい修行のお話も伺いました。私からかけ離れている先生に近づくというのは、未分不相応の希望と思いますがどのような努力を今の自分に加えていくべきなのかをご指導ください。お勉強会や修行にも行きたいと思います。先生のお名前のように静かな光として残りの人生を歩めたらと切に願いあげています。よろしくお願いいたします。

 

 

 

先生:「と、いうご相談内容をいただきました。多分女性かしら?お名前が書いてなかったのでわからなかったです。本当はもう少し長文で、私の修行の話などが書いてあって修行に行きたいと書いてありました。みんなに聞きたいんだけれども、修行をしたら心が静かに穏やかになるとやっぱり思う?」

 

 

 

年美さん:「修行に耐えることで心が強くなるような気がします。耐えるということで強くなるイメージがあります。」

 

 

 

先生:「悩みがある方って修行に興味を持つのよね。」

 

 

 

年美さん:「滝に打たれて心が無になるとか、そうすることで何か見えるものがあるのかな?ってイメージがあります。」

 

 

 

エイリアン:「なんかよくそう言いますよね?白い服を着て滝に打たれたら自分の毛穴からでる邪気が全部水に流れそうなイメージがあります。先ほど相談に恨んでいると書いてありましたが、その恨みが水に溶けていくのかなって思います。」

 

 

 

先生:「そんなに簡単だったらいいけどね(笑)」

 

 

 

エイリアン:「簡単じゃないからみんな何回も滝に打たれるんだと思います。」

 

 

 

先生:「みんな修行というものに何か神秘なものを感じているみたいなの。山や本堂にこもってお経をひたすら読んだり、ずっと掃き掃除をしたりとかって思っているようなんだけれど、修行したら心静かになるっていうことは実はとんでもなくて、これは修行に行ったメンバーみんなが言っているけれども、修行の目的は心静かになることではなくて

 

 

 

心が荒れ狂うのよ

 

 

 

逆なの。逆なのよ。怒りがいっぱい出てくるわけ。」

 

 

 

 

全員:「え!そうなんですかびっくり

 

 

 

 

先生:「私が修行に入ったのは30代の頃で、その時の先生が20歳だったの。先に僧籍を持たれている20歳くらいの先輩が役割として指導官をなさっているの。私からすると子供なわけ。その子供が『瀧本ビックリマークもっと走れ!』って言うわけ。で、”私を誰だと思っているの?ムキー”っていう感情が出てくるわけよ。なんでこんな人生の右も左もわからない人に『この着物のたたみ方が違うビックリマーク』もう一回投げられたりするわけ。で、心は”このクソガキ覚えておけよムキーッ”っていうように心が荒れ狂うわけ。

 

で、食べたいものも食べさせてもらえないし、こっちは本当に質素な食事をいただいていて、しかも教官が目の前にずらっと並んでいて、その教官たちが『いただきます』ってさぁ食べようと箸をパチっと割って口の中に物を入れて、その間私たちは何があっても口に入れたらダメなの。教官が一口目を飲み込んだらようやく私たちは食べれるの。

 

でも、その教官が『ご馳走さま』ってお箸を置いたらそこで食事が終了。それを教官たちは奥でまだご飯を食べれるの。ご飯を食べれる場所がそこだけじゃないの。奥に入ってお食事をもう一回なさるんだろうなって思うの。わかるのよ。

 

なぜかというと、物凄く匂いに敏感になっているから離れなんだけど、離れのキッチンで何が作られているのかわかるの!

 

 

 

今日は先生の修行のお話の途中ですが、時間がないのでこの辺でバイバイ

 

私も相談者の方のように、修行をするとものの見え方が変わり生きやすくなるように思っていましたが違うみたいでビックリしました。よくテレビの禊で滝に打たれるとか、道場に寝泊まりするなどあるので精神を鍛えるのにいいのかと思っていました。

 

 

明日も先生の修行のお話からスタートです。ではバイバイ