今朝もこの事を書こうかどうか迷っていた。なかなか書けず夕方の時間になってしまった。だが書かなければいけない。瀧本先生が私が書いているこのブログを応援してくださっているからだ。2018/7/1に60名ほど参加されたフグの会でも、先生は私のブログを時間を割いて紹介してくださった。本当にありがたい事で恐縮するしかない。
このブログの読書の方全員は瀧本先生をご存知の方だと思う。つまり法友、勉強仲間である。その方々から、ラジオ内容がわかりやすいなど褒めていただけて、ようやく人のお役に立てれるようになったのかと思うと正直嬉しいし良かったと思う。しかし、本当は瀧本先生を知らない人や、お釈迦様の言葉を知らない人に読んでほしいし知ってほしいと思う。先生もその事に期待されているのではないかと肌で感じる。
なら行動すればいいじゃん!
だができない。私はこれを先生への裏切り行為だと個人的に思っている。先生から学んだことを人に伝えていないからだ。自分の事をケチ臭い女だなと思う。では、そこまで思っているならやりゃいいじゃん!と思うだろう。だが、まず「仏教の勉強をしているの。」と人に言えない。言えないし、誰も私の話など興味ないだろうなとも思う。言えない理由として、先生は講演会やラジオで仏教は怪しいからね。と微笑みながらお話しされるが、本当にそうだろうか?といつも疑問に思っている。なので、自分なりに考えてみた。先生が仏教で公演ができるのは尼僧さんだからだろうか?いや、違う。多分、尼僧ではなく今でも経営者で仏教の公演をされたいたら、きっと私は”成功している経営者の人だから”と思うだろう。
ではなにが原因なんだろう?私の中ででた結論がある。先生と私で大きく違うのは私は人から相談されない。私にとって相談=愚痴になっている。ここがおかしなところだ。そして、類友なのだろう。私の知人は相談=愚痴が多い。私は自分が愚痴を言うのはいいが、人の愚痴は聞きたくない。なぜワザワザ悩んでいる人と一緒に時間を共有しなければならないのかわからないので、そういう人とは会わないようにしている。私の周りの女性に多いのだが、褒めてしいからワザワザ悩んでいる人がいる。そう言う人にはあえて褒めないので、余計に人が私から離れていくんだろうと思う。そういう人は面倒なのでどうぞ離れてくださいと思って生きていた。なので、私は友人と呼べる人は5人くらいしかいない。そして、それでもいいと思っている。
さて、どんな人に自分は相談したいかと思うと、やっぱり自分とは真逆の人だ。この時点でため息がでる。今から真逆の人になんてなれないし、正直なろうとも思わないからだ。
じゃぁ、どうしたらいいだろう?
ここ数日考えている。。。人から秀でるものが何一つない。輝かしい功績もない。外見の美しさもない。内面も美しくもない。。。このループでどんどん自分が嫌になる。名家に生まれていたらなぁとか訳のわからないことを考えてしまう。馬鹿だ。
書いていて思うが、やはり自分の生き様に問題がある。自分の生き様=仏教になっていないから言えないんだな。会社でも隣のどんくさいオバさんにブチ切れ、仏教勉強していると言うと変な目で見る人に言い返す。仏教が怪しいから言えないんじゃくて、自分の生き様が人に言えるような立派な人生じゃないから恥ずかしくて言えないんだと思う。あー、スッキリした。しかし、この成長過程だといつ自信を持って言えるようになるんだろうか?まだ怒るし、嫉妬するし、妬むし。。。はぁ
道のりが遠い。。。
でも、言えないのを仏教のせいにしたくないと思っていたが、本当に仏教のせいではなく自分の生き様のせいだとわかっただけでも今日は良しとします。でないとまた、自分を責めてしますので今日はこの辺で終わりにしたいと思います![]()