では、早速昨日の与え下手の話の続きです。

 

 

 

 

宮下さん:「買うときは相手が喜ぶことをイメージしてプレゼントを買ってもいいんですか?」

 

 

 

先生:「それはいいですグッ

 

 

 

年美さん:「そして、プレゼントを渡した時に相手がどんな態度をしても、それは相手の課題だから気にしないってことですよね?」

 

 

先生:「例えば、年美ちゃんに今日着ているブラウスをプレゼントしたとする。このブラウス絶対似合うと思う照れ誕生日でもなんでもない日にプレゼントしたらビックリするんじゃないかな?って思いつつ、『これ絶対に似合うビックリマーク』って思うし、『うわぁ、先生これ嬉しい〜音譜音譜音譜音譜』って年美ちゃんが言ったらどうしよう爆  笑とか、これはワクワクタイムね。ワクワクしながら買うし、ワクワクしながら、年美ちゃんに渡すの。で、渡した時点でワクワクは終了!

 

 

 

年美さん:「そこで終了びっくり

 

 

 

先生:「そこで終了。着てくれるかな?とかは、相手のコントロールだからね。」

 

 

 

全員:「相手のコントロールびっくり でも、そうかもしれないですね。」

 

 

 

先生:「着るかどうかは相手の問題。相手にプレッシャーを与えちゃう。好きかどうかも聞かないでプレゼントしているわけだから、このクリームパンもトヨが好きかどうかも知らないで買ってる。年美ちゃんが好きなのはわかってた。昨日一緒に食べたから(笑)今日、宮下さんが来てくださる。お酒を飲む宮下さんがクリームパンを食べているところを見たことがないなと思いつつ、嫌いだったら嫌いでもいいか!で、ラジオ局の山田さんにも買っていこう。山田さんもお酒をよく飲まれる方だけど、クリームパン食べるかしら?と思いつつ、嫌なら食べなければいいか。と、思って買って持って行くのがワクワクだから、食べるかどうかはその方の課題です。

 

世間では相手の領域まで踏み込むことが多いって気づいたの。ここを実感したのが受け取り上手になってからよ。3日前(笑)」

 

 

 

年美さん:「ホヤホヤですね爆  笑爆  笑爆  笑

 

 

 

トヨさん:「素直にプレゼントを受け取れないのは自己肯定感がないからですか?」

 

 

 

先生:「自分が何かをやった価値との交換で人から与えられると思うの。だから、自分が提供している価値に自分の方が低く評価をしていた。自分が学んだ仏教を人にわかりやすく、面白おかしく事例を混ぜながらその人が実践できるようにということを課題として、いつもシナリオを考えるんだけれども、それが所詮私の人生で感じた仏教の内容だけだよなぁって。お釈迦様の教えって膨大にあるのに、私がその中から瀧本の感性で選んだだけの教えのお話をお伝えしているだけ。それなのに、こんなにも施しを受けるっていう、自分のやっている構築している講演や立ち振る舞いがそこに交換されるだけの価値に値するという自信がなかったの。

 

自分には自信がある。瀧本という一人の人間としての自分で何かをやって自分で物事を考えるのは、自信があるというか自覚をして生きているけれども、それが人からいただく価値との交換となったときに、これだけの施しを受けたらダメなんじゃない?っていう感じ。」

 

 

 

全員:「あー、なるほど。先生でもそう思われるんですね。」

 

 

 

先生:「いちおう、謙虚な心は持っているの音譜

 

 

 

トヨさん:「お釈迦様へのリスペクトがあるからかもしれませんね。」

 

 

 

先生:「そうなの。あんなに多くの教えの中の一部を瀧本が話しているだけで、もしも、この順番で話していけという手順があって話しているのなら、まだ自信はあるかもしれないけど、自分がちょっとチョイスしてまとめ上げたもので大丈夫ですか?っていう、この辺が多大なる施しを受ける時にビビっちゃってたショボーン

 

 

 

トヨさん:「先生がお釈迦様の言葉を変換して下さらなかったら、さっぱりわからない。というか勉強もしなかった。」

 

 

全員:「絶対にしてない!!!!

 

 

 

先生:「それがね、私ができたことならみんなもその気になって、せーのでやったら出来るんじゃない?」

 

 

 

全員:「ない。ないバイバイ

 

 

 

年美さん:「先生みたいにガーッと入らないですね。先生はマニアックだから(笑)」

 

 

 

先生:「途中からは自己探求=文献を読むになったの。それまでは、どこか皆さんにわかりやすくお伝えするために、もっと勉強しなきゃっていう、発信側の思考で勉強していたけど、だんだん矢印が内に向いて来て、ということはこの心はどういうことなんだろう?とか調べて行くうちに、『あ!これ伝えなきゃ!』とか自分で気づいたことを皆んなに伝えるようになったの。

 

それまでは、お釈迦様が残された表の情報を面白くまとめるっていう風にしてたけど、それをしているうちに心を見つめないとできないような内容がいっぱいあるの。だんだん見つめて行くと、こういうことか。こういうことか。って文献にはない実践された結果論をお伝えできるって途中で変わったの。あ!こういうことだったら、皆んなこういう風にできるんじゃない?とか、こういう苦しみの人聞いてとか、比較ばっかりして自分を見失っちゃう人聞いてとか、怒りが手放せない人聞いてとか、こういう教えがあるけどこういう意味なのよとか。そこに人体実験を乗せていく。

 

だから、頭の情報だけでなく核心に変わったことが沢山あって、先週と今週は心を観にいってねって話をしているんだけど、心を観にいくといろんな発見があったの爆  笑

 

 

トヨさん:「どんな発見があったんですか?

 

 

先生:「その話は曲の後でバイバイ

 

 

 

今日は区切りがいいのでこの辺で終わりますバイバイ

 

私は完璧与え下手ですね。よく母に対して怒ってましたね。小学生の時に母の日にカーネーションを渡したら、カーネーションがお気に召さなかったようで、そのカーネーションを近くにいた他人に渡して、人として終わってるだろ!クソババームキーと激怒した覚えがありますてへぺろ

 

プレゼントした相手がどうしようが、プレゼントを渡すまでワクワクタイムでいれたのだから、それだけで良かったんですね。これからは相手に期待?依存?しなくてすみそうです。しかし、何でも笑顔でプレゼントを貰ってる先生が、受け取り下手で与え下手だったと思われていたとはびっくりしましたびっくり 皆さんはどうですか??