私は自分がいまを生きていることに感謝ができなかった。というよりも、病気で死が目の前まできている人や多くの人から慕われている人で短命な方と、もし寿命が換できるなら私の寿命と交換した方がいいんじゃないか考えていた。なので昔はよくニュースなどで、私からみて長生きして欲しい人が不慮の事故などでお亡くなりになると、なんでだ!私の寿命と交換するのに!と幼少期の頃から腹を立てていた。つまり、私は自殺は怖いのでできないが、かといって自分の命を大切にするような子供ではなかった。
よく、多くの自己啓発セミナーやそのての本や”今生きている事に感謝する事が大事だ”というが、当時の私はそんな事は綺麗事、そう思えるのは貴方の環境が恵まれているからでしょ?って思っていた。なので、社会人になってからも命に対しての考え方は変わらない。生きている事に特に喜びもなく、毎日テレビと人に愚痴(感想)を言う事で時間を潰すような生活をしている私としては、自分は地球上に存在しなくてもいいんじゃないかとよく思う。また、残念なのは私が死んだとしても両親含め悲しむ人は居ないだろうなとも思う。人から悲しんでもらうほど感謝される行いもしていない。じゃぁ、感謝されるような行動をすればいいのだが、ここがエイリアンなんだろう。そんな事は面倒なのでしない。ただ文句を言っているだけの最悪な生物だ。書いて思うがこんな奴に近寄らない方がいい。
さて、なぜ幼少期から時間の無駄遣いというか、命の無駄遣いをするのか自分でも不思議だった。それが瀧本先生のラジオに出演して糸口が見つかった。私の大きな分岐点となる。その時の瀧本先生のブログはこちら
ラジオの中で「親が冗談で橋の下から拾ってきた子って言ったとするじゃない?今の大人の脳ならそれは冗談ってわかるけど、幼い脳はそうは思わないの
自分はいつでもなくなっていい命
って、思うのよ」と、瀧本先生。
なぬ!!と私。収録しているので声に出さなかったが、漫画なら目が1メートルは飛び出していた。いや、出ていた。
私、母から言われていましたよと。。。本当にドンビシャでビックリ![]()
言われた記憶があるのは私は小学校1年生で、自宅の寝室にいて、紅く大きな夕日が窓からはみ出していて、すごく眩しく目を細めていた時だった。そんな時に母から「橋の下から拾ってきたのよ。だから私はあなたのお母さんじゃないの」と言われた。きっと、家の手伝いをしなかったんだろう。それで母は言ったんだと思う。だが、ここがエイリアンなんだろう。私は冷静に「じゃぁ、本当のお母さんはどこにいるの?」と聞き、母は夕日を指差して「あっちよ」と答え母は夕食を作りにキッチンに戻った。
私は言われても悲しくはなかった。それよりも、本当のお母さんを探さなきゃ!っていう方が強かったのを覚えている。なので、キティーちゃんのピンクのリュックに洋服や下着を詰め込んで家出の準備をしていた。リュックに詰める物の中で一番悩んだのがハンカチの枚数だった。今考えればこだわる所はそこ?ってツッコミどころなんだが、小1の私はこの家出に何枚のハンカチを持っていったらいいのかわからなかった。なので、母に「ハンカチは何枚必要かしら?」と夕食を作っている母に聞いた。すると母は、「私が本当のお母さんだから探しに行かなくていいのよ」と慌てて言った。当時の私はこの出来事がとても意味がわからなかったというか、モヤモヤして終わったのを覚えている。
が、さらに私には衝撃的な事が起きる。どちらかというと、こっちの方がメインだ。
6つ年の離れた弟が幼稚園の年長組になった時に母が弟に同じ事を言った。確か、この時は弟が夕飯を食べずに遊んでいたからだった。で、私と同じ事を言われた弟はこう泣き叫ぶ
「お母さんいい。お母さんじゃなきゃ嫌だー!!」
私はビックリした。お前今なんて言った?私とリアクション違くないかい?しかも、泣き叫ぶだけでなく、母に抱きつきながら泣き叫んでいる。そして母はなぜか笑顔だ。
正解はこれか!
と、私は思った。
私は全く弟とリアクションが違う。この違いに私は本当にビックリした。同じ兄弟なのにこうも違うのかと。そして、こりゃ母は弟の方が可愛いわ。と妙に納得したし、同時に素直なというか、こういうリアクションができる弟に嫉妬した。
ここは推測でしかないが、母には可愛い弟がいるという事もありより、より自分をいらない命だと思ったのかもしれない。しかし、いまは瀧本先生のお陰で自分の考え方の原点がわかった。原点がわかればこっちのものだ。どんと来い!だ。自分が本当の意味で変われる糸口を掴んだ瞬間だった![]()
本当に先生には感謝しかない。なぜなら、どんなセミナーや本、不思議な力がある言われている人などは、こういう原点については教えてもらえなかった。私の個人的感想だと、過去の記憶をほじくり返し、いい過去だったと思い込ませる感じですごく抵抗があった。先生の講演会やラジオを拝聴すると、今までの自分が悩んでいたことが、ロジック的に理解できるのですごくスッキリする。私は勉強が出来なかったので例えが違うかもしれないが、難しい数学の方程式を解いたようにスッキリする。
まだ、完全に生きていて良かったとかは思えていないけど、瀧本先生の仏教を聞く前よりは、断然いまに感謝できるようになってきているし、毎日が楽しくなってきた。こう書いているのが奇跡だ。楽しいなんて書いたことないんだから。
今日は、どうまとめていいのかわからないので今日はこの辺で
いつも変な終わり方で申し訳ないです。。。![]()