当時、私の母は近所のスーパーでアルバイトをしていた。この出来事は私が20代でまだ実家にいたときに起こった。いきなり怒鳴るように母から言われた一言だ。私は突然のことでビックリした。あの日はたしか穏やかな休日で、私は自分の部屋でベットに座ってボーッとしていた。社会人になってまだ数年しか経っていなく、実力も経験もなく焦りしかない時期だった。そんな時に、ノックもなしに乱暴に部屋のドアが開き、仁王立で目が充血している母が立っていた。そのあり方はそこら辺の心霊写真よりもずっと怖い。。。
私の母はよく親として言ってはいけない事を平気で言う。冒頭の”お前のせいで私は職場でいじめられている!!”も私からするとその一つだ。きっとこれを読んでいる人の中には同じような経験をしている人がいると思う。その人はどうか自分の事を思い出しながら読んでほしい。
さて、驚きの次に来た感情は悲しみだった。私の存在がそんなことに?どうしよう?と一瞬思った。が!ここが私らしいというか、すぐに怒りに変わった。心の中で『それ、私が言うセリフじゃない?』と。。。
私は家では、無口で何をされても感情を表に出さないようにしている。なので、今回のことも冷静になって話を聞くことにした。私の部屋のドアの前で鼻息荒い母に聞いた。
「何があったの?」とぶっきらぼうに聞いた。
母は捲し立てるように話す。
「同僚の子供がどんどん結婚していく。みんなが子供の結婚話をして楽しそうにしている時に、私が近づくと急に話を変えるのよ。私はみんなから避けられてるの!今まではこんな事が無かった。お前がこの家にいるからよ
早く出て行って
」と泣きながら私に向かって叫んでいた。
私は、母の話をどう聞いていたと言うと、
こいつバカなのか?これが私の母なのか?
と、情けなくなっていた。
私からすると母の方程式はおかしい。まず、イジメをナメんなよと思う。小学生から中学生までイジメられていた私としては、そんなものはイジメの内には入らないし、社会人のイジメもそんなもんじゃない。そして、私は学校でイジメられ、家では事あるごとに殴られ逃げ場がなかったが、あなたのせいだと言ったことは無かった。まず、ここが怒りポイント1となる。
次に怒りポイント2。その状況を見ていないからわからないが、多分、その同僚の人が幸せそうに子供の結婚話をしている時に、母が怪訝な顔つきになるか、もしくは私の娘は。。。と場を壊すような事を言っているんだろう。自分が気にしているから、周りが気にして遠ざけるだけだ。なぜ、これも私のせいにならなきゃならないんだ!と腹が立つ。
怒りポイント3。なぜ私が実家にいるとなぜイジメられるんだ?私が実家からいなくなればイジメられなくなるのか?違うだろう。私が結婚したらじゃないのか。理論が破綻してる。
だが、一番腹が立つのは、いや悲しいのは、その状況で堂々としていられない母の在り方だ。私は犯罪者ではないし、人に後ろ指を刺されるような生き方はしていないと思っている。なので、「たとえ結婚していなくても、社会人として立派に生きています。」となぜ言えない。私は言うに値しない人間なのかと思うし、あなたの子育てはその程度ですか?と思う。あなたが胸を張れる子育てをしていたら周りの目は気にならないですよね?と。その程度の信念で子育てしていたのかと情けなくなる。この程度の信念で顔に痣ができるほど、掃除機の柄がなんども壊れるほど殴られていたのかと思うと幼少期の自分が報われないと思った。
この時に1つ悟った事がある。私の母は今で出会った人の中で1番といっていいほど自己受容・自己肯定感がない。自己受容・自己肯定感のない親は、周りの評価でしか子供を判断できないという事だ。と、いうことは私も自己受容・自己肯定感ないので、将来こんな親になってしまうのかと思うと恐ろしくなった。
つまり、母は完全にエンロールを間違えた。母はきっと私に結婚をして子供を産んで欲しかったんだろう。しかし、話を聞いた私はさらに結婚してはいけない。自分も母のような母親になってしまうから子供を産んではいけないと思った。
そして、こんな何でもかんでも人のせいにする人になってはいけないと思い、この出来事の数年後くらいから自己啓発本を読んだりセミナーに通い出すこととなる。だが、残念なことに、私も母の娘だと実感する。私も人のせいにする。私の方程式では、酒乱の父やなんでも人のせいにする母に育てられたせいで、気性が荒く不幸な私がいると思っている。似たくないところが似てしまう。。。
本当にやだ!
そんな時に、先生のブログに出会う。このブログを拝見して自分が言葉で表現したかった事を書いていただけたようでスッキリしたのを覚えている。私にも多くの変な方程式がある。その一つの中に”こんな親から育てられたから幸せになんてなれない”と思っている。いや、幸せになってはいけないのかもしれない。でも、先生の仏法やラジオに出て自分をシェアするようになって少しづつこの方程式が緩んできたように思う。私が親に執着しなくなったからだと思う。この変化についてはまた今度![]()