では、一曲終わり話が続きます。

 

 

 

先生:「脳が一番今自分が考えている思考にふさわしいものをどんどん見させてしまう。今まで実は自分の盲点に入っていて見えていなかったんだけど、その霧が引くことで新たなものが見える。やっとこれが見えた!と喜びのものが見えたならいいけど、物事の捉え方に愚痴っぽくなっている時というのは、その愚痴を正当化するようなものがどんどん入ってくる。

どうせ同じ事を経験するなら楽しいものがどんどん見えてくる方がいい。では、そうするためのコツは?

 

 

 

なんでも楽しむ

 

 

 

全てALL OKなの。エレベーターから落ちても楽しい爆  笑

 

 

 

トヨさん:「先生の楽しい定義はすごいですね!血を流しながらでもそう思うんですね(笑)」

 

 

 

先生:「死んだらダメだけど、死ななかったらALL OKなんですよ。だって、『今日の話面白かったですね!』って言われるのわたしの悲惨な体験の時だもの。どっちかっていうと。」

 

 

 

全員:「あー、なるほどグラサン

 

 

 

先生:「人が死にそうになってるのに、人の苦労をなんだと思ってるの!(爆笑)って思う。楽しいことって、その人の話で楽しいって思うのって、過去の死にそうな苦労だったり失敗話だったりするでしょ?面白いよね?目の前の破茶滅茶なことって、それを踏み台にして次の経験に行った人が『こんな経験があった』って話すのは全部面白いわけで、次のステージに行かずに苦労に嵌まって苦労で止まっている人の話はドヨーンゲホゲホとして重い話になる。

 

今も、わたしはこんなに不幸でこんなに辛いって言っている人の話って絶対聞きたくないよね。もう邪気がすごい。負のオーラが半端ない。

 

だから、何でも楽しまなきゃいけなくて、そうすると脳がRASっていう働き、スピリチュアルで言うなら波動なんだけれども、その波動にふさわしいものが自分の人生に見えてくる。

 

これを仏教は因果として発表していたの。だから、あなたの心が穏やかで他人の幸せを願うような常に今幸せを願うような波動であれば、その波動にふさわしい時空が次に用意されるっていう事を言っているの。

 

わたしは、目の前のことを楽しめない人はいないと思っていて、”楽しまない人がいる”と思っていて、なぜかと言うと苦しんでいると言うことを武器にしちゃっている。自分の苦しんでいるんだっていうことを人に言う事によって、わたしはこんなに大変なんだって言う。いわゆる愚痴かもしれないし、それをたくさん人にいう事によって『あー、大変だね』っていうように、その場の中心に自分がなれることを覚えてしまった人は愚痴を止めなし、どんどん新たな不幸が来たらそれも自分の武器にして行くの。その武器を手放すことは考えていなくて、自分が苦しんでいることを話すのが雄弁になって行く人はいるけれども、そこから脱出する=人気者ではなくなるということだから、愚痴を言い続ける人がいる。

 

そういう人は、ほっぺた両方引っ叩いて目を覚まさせるしかないね(笑)」

 

 

 

全員:「先生荒いですね爆  笑爆  笑爆  笑

 

 

 

先生:「今を楽しむってそんなに難しい?」

 

 

 

年美さん:「仏教の勉強をしてからはそんなに難しくなくなりました。今キーワードのワクワクを大事にしていたら、ずっとワクワクするようになりました。捉え方も自分がワクワクしているから変わってきたように思います。」

 

 

 

 

先生:「カズは何かワクワク予約ある?」

 

 

 

カズさん:「いろいろあります。今日ここに来る事もワクワクでした。ここに来ないっていう選択もできたけれど、このラジオ収録

にくる方がワクワクするので今日ここに来ました。」

 

 

 

先生:「いいこと言うグッ

 

 

 

年美さん:「モビルスーツに自分が乗るって大事ですよねビックリマーク

 

 

先生:「自分で、自分のモビルスーツに自分が操縦しているかな?って確認に行く時ってちゃんと乗れるけれども、例えば女性だと洋服を買う時って『こんな服着てたらアホだと思われるんじゃないかな?』とか思うことあるけど、今自分が着たいと思ったんならそれを着ればいいじゃない?って思うの。

 

例えば、わたしがフリフリのピンクのレースのブラウスを着たいと思ったとする。わたし、着たいと思ったら講演会に着てくると思うよてへぺろ

 

 

 

全員:「今日なんかあったのかな??って思います(笑)」

 

 

 

先生:「わたしは”みんながどう思うか”っていうことは考えないの。操縦席に誰も乗らないから。自分が着たいと思ったら気にせず着ちゃうわけ。ハート柄でもね。着たかったら着ればいいのよ。失礼になる場じゃなければね。

 

わたしの操縦席には誰も乗らないけど、意図的に乗っていただくのはお釈迦様で、あー、この決断できないな。この時お釈迦様ならどうするかな?っていうことを考えると、お釈迦様なら『何も気にならない。前に進む』って仰るなって思ったら、そのお釈迦様に退いていただいて、自分が操縦席に乗って自分がやる。自分が悩んだ時には”お釈迦様ならどうするかなって”考えるの。」

 

 

 

 

では、今日はこの辺でバイバイ

私も自分の幼少期のことをずっと周りに愚痴っていました。もう話たくってたまらないし、話すと自分がスッキリするからやめようとも思わなかったし、私をこんな風にした周りが悪いって思っていました。それに、先生がALL OKと言いますが、私の幼少期だけはALL OKにはならないぜムキーと思っていましたが、過去の事をブログに書いて、私は辛い事なのに面白いと笑う人も現れたので、私も次のステージに行けたのかなぁと思い、今日のブログ作成は楽しかったです音譜