私の父は人の目を気にしない。この文章だけを読むと男らしいと思うかもしれないが実際は、人の目を気にしないので寝癖のまま外に出ても平気。顔を洗っているがどこか汚く見える。服が汚れていてもシワくちゃでも気にしない。他人が自分をどう見ているのかに全く関心がない。そういうところが大嫌いで小学生の低学年くらいから一緒に歩くのを止めた。クラスの子に一緒に歩いている姿を見られたくないからだ。どうしても歩かなければならない時は、距離を保って離れて歩き、電車の中では一緒には座らず車両の端と端に座っていた。しかし、私もその父によく似ている。嫌なところが似てしまうとよくいうが私もそうだ。人の目を気にしない。気にしないから、このブログが書けるんだと思う。
私が小学生の頃、父と一緒に出かけなくなった理由が他にもある。外でも私を怒鳴ったり殴るからだ。父が私を殴るときは、母と違い物を使わないので肉体的ダメージが少ないが、外で殴られるときは精神的ダメージがでかい。
こんな事もあった。小学校2年生の時授業参観に父がきてくれた。私の席は先生から一番遠い席、つまり私の席の後ろはすぐ、みんなのご両親が立っていた。私は父が参観日に来てくれたのが嬉しくて隣の席の子に話しかけたりしていた。その時はかなり落ち着きのない子だった。そこで急に父がクラス中に響く怒鳴り声で「静かにしろ!!」と平手打ちされる。クラス中騒然として担任の先生も止めに入るし授業どころじゃなくなったように記憶している。
こういった人の目を気にせず大声をだしたりする事が、家族で買い物に行った時や、レストランで食事している時などでよくあった。理由は些細なことだ。例えば、レストランで出されたスプーンが少し汚れていたとか、お釣りを間違えたとか。。。父からしてみたら、自分を不快にさせる出来事があるから怒鳴っているんだろうが、娘の私からすると勘弁して欲しい。あなたの存在が私にとって不愉快なんだと思うし、なんでこんな人が父親なんだろうと自分の運命を呪うしかない。
酒乱の父はよく子供と女性を殴る。弟は小学生の時までは殴られていたが、体が大きくなるにつれ殴られなくなった。父の殴る対象の女性の中には母や私が入っているのはもちろんだが従姉妹も含まれる。父からすると身内も家族。なので殴っていい対象となる。すごい理論だ。意味がわからない。ちなみにシラフの時の父はそんな事はしない。静かに部屋の隅にちょこんと座り、誰とも会話せず独り読書をするような人だ。
私が中学生の頃、夏祭りがあるという事で夏休みに父の実家に行った。高3の従姉妹のお姉ちゃんが夏祭りのせいか帰宅時間が遅くなっていた。22時を過ぎても帰ってこない。父は21時くらいから姉が帰ってこないとイライラし始めていた。しかし、姉の両親つまり、私からすると叔父と叔母は『仕方ない。夏祭りだから。楽しんでしょう。』って笑顔でワイワイ食事を楽しんでいる。父一人がイライラして怒鳴っている。
しばらくするとお姉ちゃんが笑顔で帰ってきた。『ただいまー』と元気に玄関を開ける音がする。と、同時に”バッシ”っと大きな音が聞こえる。まさか!と思って、玄関に走ると案の定、父がお姉ちゃんを平手打ちしてお姉ちゃんが頬を抑え泣きながら横たわっていた。父は叔父に抑えられ、その後、母と私で謝り続けた記憶がある。あとで、お姉ちゃんに聞いて見たら、帰りが遅くなる事は叔母に言っていたようだ。全くの無意味な暴力だ。そして私の夏祭りは終わる。夏祭りの思い出はそんな記憶しかない。
私はそんな父が大嫌いだ。なんで他人の子供にまで殴るんだろう?頭がおかしいのな?と思っていた。認めたくないが、私も父に似ている。もちろん父のように肉体的に暴力を振るう事がないが、他人の人生(領域)に対してほっときゃいいのに言葉で傷つける事がある。肉体的暴力か精神的暴力かの違いだけで、相手の領域に侵入し傷つけていることには違いない。私の場合は、傷つけているという認識も瀧本先生に出会うまではなかった。どう思っていたかというと、誰も言わないから私が”いいアドバイス”をしていると思っていたし、私に感謝しろよ!って思っていた。
そして、先生の仏教を学ぶにつれ、私が行っていた事は”いいアドバイス”なんかではなく、ただ相手の人生に文句言っているだけだと気がつく。なぜこんなに他人の人生に口を挟みたくなるのか意味がわからなかった。そんな時に離別感が書かれたブログに出会う。
離別感
父には離別感がなかった。私はその生き方を引き継いでしまった。遺伝という呪いである。
相手の人生なのだから自己責任で相手の好きにすればいい。見守るという事ができなかった。昔はその見守っている人を見て、冷たい人だと勘違いをしていたんだと思う。
私はよくこの離別感がなくなるので、忘れた時に思い出せるよう未来の自分のためにこのブログを残したいと思う。
離別感が腑に落ちたのは逆視道の講義のおかげだ。心理を学べる所は多くあるが実際に体感できる学びの場となると限られてくると私は思う。もし、同じように人の人生に口を挟んでしまう人は一度逆視道を学ばれることをお勧めします![]()