人は本当に伝えたい事と実際に口から発する言葉が違うことがある。私の母は本当に実際に伝えたい事と口から出る言葉が違う。実家にいる間はそのことすら気がつかなかったし、瀧本先生の仏法や真解学を学んで気が付いた。

 

 

私の母は、私を殴った後によく「お前を呪ってやる」と「お前に復讐してやる」と吐き捨てるようにいう人で、初めて言われた時は悲しくて辛かったが、慣れというのは怖いもので毎回そんな事を十数年言われ続けていると悲しくもなくなる。私は殴られても平気な人なので、平然としている私が嫌だったんだと思う。きっと泣き叫ぶ私を見たいのだと思うのだが、殴られすぎると痛みはなくなるので平然となる。さすが私の母だなぁと思うのは、今だに二人で会う時がある。今は外で会っている事もありさすがに殴る事はないが、帰り際に何の脈絡もなく「お前を呪ってやる」もしくは「お前に復讐してやる」と言い放ち颯爽と立ち去るのでビックリする。娘にこういう事しか言えない母を哀れだと思うし、こういう言葉を発する環境で育っているにもかかわらず、社会生活をしている私って偉いなって本当によく思う。自画自賛拍手拍手拍手

 

 

私が人よりも”呪い”や”復讐”とかそういう言葉が怖くないのも母の影響だと思う。呪いよりも生きている人間の方がよっぽど怖いし、呪いをかけている人は幸せにはなれない。母がそうだから。

 

 

さて、いつもの私は母からそういう言葉を聞くとどうなるかというと、心の中では『呪うならどうぞ。そんな事でどうにかなる私ではありません。復讐するのは私の方です』と復讐心をメラメラ燃やしている。私が母の頭が悪いなぁと思うのは、復讐する相手に復讐が完了する前に相手に宣言をしてしまっている事だ。それでは復讐にならないと私は思う。

 

 

私を知っている人は驚くかもしれないが、私は殴られている時は口答えをしない、当然相手は親なので手も出さない。まるで人形のように思考を停止して気がすむまで殴られている。その方が痛くないから。ただ、心の中の母への復讐心は相当のものだった。どうやって復讐してやろうかとか、よく頭の中でシュミレーションをしていた。だが、そんなことを考えるよりもこんな過去など忘れたいし、この復讐心をどうにかしたくていろんなセミナーに10年くらい通うのだが、復讐心が消えるどころか過去にフォーカスするセミナーだったので、より復讐心が根強くなることになり袋小路に追い詰められた状況となる。そんな時に瀧本先生の仏法に出会った。本当に私は運がいいチョキ

 

 

先生のブログに出てくる相談者の女性が私に似ていると思った。占い依存症の女性の話で、いつもなら占いにハマるなんて軸のないバカな人だなって思うだけだけど、占いかセミナーかの違いなだけ。私もセミナーに行ったりして結局どうにもなっていないし、私が悪いのではなくこんな家に生まれた私は運がなく、自分が思い描いているような人生を歩めない私は被害者だと思っているので、人生は自分次第なんて思って生きてないし、そんな言葉で私の過去がチャラにはできない!納得できないとずっと思っていた。

 

 

しかし驚くことが起きる。前回母と会った時帰り際また「お前に復讐してやる」と言って颯爽と立ち去る母を見たら、もしかしたら「さようなら」って言いたかったのかもしれないな。と思ったら、いつものようなイライラがなかったのと、私と母は家族ではあるけれど、別の人なんだと割り切ることができて腹が立つどころか母の不器用さに笑えてきた。多分、もう母と二人で会うことはないと思うが、あの日の出来事は母と分離できた最初の日だと思う。母への依存がなくなったら自然と復讐心も薄れてきているから不思議。何事も依存してしまうと辛苦なるんだなぁとしみじみ思います。この出来事が母への依存分離点だったのでこのブログに残そうと思います。