今日の東京は大雨です。雨音が強く熟睡できなかった方もいるんじゃないかしら?そんな方は少しでもお昼寝ができたらいいですね![]()
さて、早速昨日の続きを書いて行きたいと思います。昨日の内容を簡単にまとめると、自分の人生なのに、判断するとき片思いの人だったり、近所の目だったり自分ではない価値観で判断することがあるという事でした。
私:「それ分かります。よく小さい頃から私の母が、・離婚したい・一人になりたい・子供はいらない(弟には言わず私だけに言う)・稼ぎたい(経済的自立をしたい)・海外に行きたいって言っていたんです。そして全て母の願望を叶えているのが私の人生なんですよね。結婚もしてないし…つまりずっと離婚状態なんですよね(笑)
そう考えると、母の呪縛から逃れていないというか、本当に私がやりたくて決断していた人生なのか?母の復讐のための人生だったのか?と考えるとすごく怖くなったんですよね。母の復讐のための人生だったとしても、自分が歩んできた人生全てを否定したくはない。しかし、あまりにも母が言ってきた人生を歩んでいるから、私の人生を判断していたのは私ではなく母であって、私が歩みたい人生ではなかったのかもしれない。と、思ったときに恐怖を感じたんですよね。」
先生:「いい判断です。いい自分の内観の仕方」
私:「じゃぁ、あなたは本当な何がしたいんですか?ってなったときに何も思いつかない...」
先生:「では、あなたを根こそぎ救ってあげましょう![]()
では、まず一つ目の恐れについて。自分が良かれと思って選択していたことが、気が付いてみると母への復讐の材料だった。”ざまぁみろ。あなたができなかったことを全部私がやってやったわ”みたいな」
私:「そうです。そうです。」と首を縦にシェイクするわたし。
先生:「じゃぁ、お母さんが子供の頃、私はこうしたかった、あぁしたかったって言うことを、悠々自適にやって”羨ましいでしょ私が”っとなったときに怖くなったということだよね?」
私:「はい。そうです。」
先生:「じゃぁ、実際どうなのでしょう。と言うと事実”そう”です。ところが、事実そうだったからそれがダメですか?って事になるの。大切なのはこっちなの。そのことに対する全て解釈だから問題は。それによって、物事を選ぶ選択の指針になったのなら、それはそれで良かったわけよ。だって、今の行き方をはたから見て誰も不幸には見えない。立派に見える。心の勉強をして人生を一気に開拓していて誰もがいいなと思うよ。自由だし。背景を知らなかったらかっこいいと思う。
母親に対する”このヤロー”という思いが選択する方向性にブレがなかった。復讐とういう前提で作り上げた今の人生がダメですか?って思うのよね。」
全員:「う〜ん
」
先生:「全然ダメじゃないじゃん。それは一つの選択するキッカケになったんだから。まずそこね。
ただ、一言いえるのは100%恨みを果たすためにやってきましたと言い切る。」
私:「そ、そうですね。ですから、恨みスタートの人生ですよね?」
先生:「そう。恨みスタート。でも、その恨みスタートで何が悪いの?」
(私は、この何が悪いの?と聞いたときにすごく救われた気分になりました。恨みスタートなんて私の人生真っ黒だなって思ってすごく嫌な感じがしていたので)
三井さん:「そうですよね。エネルギーになりますよね!」
先生:「感謝スタートでも同じことをやっていたかもしれないよ。お母さんができなかったことを変わりに私がやるって。
だから、意味づけはそこはいらないわけよ。恨みできたからダメなのねとか、お母さんが大学行けなかったから私が行こうとか、よくある美談じゃない?」
三井さん:「そうですよね。よくある美談ですよね。」
先生:「つまり、どっちの心発信でもあなたは自分に相応しいものを常に選んでいたんだから、いまに行きついているはず。絶対にどっちからスタートしていても。」
私:「あーぁ。なるほど。」
先生:「だから、ここに何にも問題がなく、スタートが恨みだったからダメだとか論ずる論点ではないの。
ただ、もう一つ肝心なんなのは、今のあなたは自分の選択の連続によってそこに辿り着きました。たどり着いたいまここが、
居心地が良くないんだったら、まだ進化させないとダメだよねってこと。大切なのはここなの。」
先生に質問をするまでは、恨みスタートの人生なんて価値がないというかすごい悲壮感だったけど、確かに恨みスタートでも感謝スタートでも結果が同じだったかもと思ったらすごくスッキリしたのを覚えています。
では、明日は「結婚できない・しない」方必見のお話を書きますね。ではまた![]()