みなさんは”呪い”と聞いてどう思いますか?普通は怖いとか、お祓いにいかなきゃとかかしら?たぶん、その”呪い”から逃げようとしたり避けたりするのだと思う。

 

 

しかし、ここがエイリアンなんだろう。私は全く動じない。むしろWelcomeだ。どうぞ呪ってくれ。それでくたばる命ならそれまでだから、むしろ自分のバロメーターになって面白いと思っている。

 

 

いまの小学生でも流行っているかわからないが、私の小学校で呪いの手紙が流行ったことがある。不幸の手紙とは、不幸になる手紙をもらった人は、5人の人にまる写した文章を渡せないと自分が不幸になってしまうという手紙だ。

 

 

確か私が小5の時に流行ったような気がする。クラスで優等生の女の子から可愛らしいスズラン柄の白い封筒に入った手紙をもらった。当時から友達がいなかった私はその可愛らしい封筒だったのでとても喜んだ。

 

 

すると、その優等生の女の子は

 

 

「それ呪いの手紙だよ。5人に渡さないと不幸になるんだよ」

 

 

と、喜んで手紙を受けっとた私を馬鹿にしたように、蔑むように言い放ったのを覚えている。

 

 

すでに学校ではいじめられ、家でも居場所がなかった私は、失うものは何もない。”たかが手紙を5人渡せないくらいで不幸にできるならやってみろ!”と逆に闘争心に燃えた。

 

なので、私はその子だけでなく、クラスの女の子に向かって

 

「もう私不幸だし怖いことないから

全部もらうからちょうだい」

 

 

と言った。

 

 

私は気がつかなかったが、クラスの大勢の女子達は手紙を渡せず困っていたらしい。今を振り返ってもあんなに手紙をもらったことがない。手には持てないくらい山盛りの手紙を受け取り、そっこう破りゴミ箱に捨てた。今思えば私はクラスの救世主だったのかも!その日から呪いの手紙はクラスから消えた。

 

 

クラス20人の手紙をもらい破り捨てたがその後特に変化はなかった。きっと小5の私にとってすでに不幸だったので、それ以上不幸にできなかったのかもしれない爆  笑

 

 

多分、私はこの時に”呪い”なんて自分の気の持ちようでどうにでもなると確信したんだと思う。私が悪口や陰口を言われても平気なのは、きっとこのおかげだと思う。私にとって、悪口や陰口も一種の呪いだと思っているから。

 

 

これは小学校の話だけど、大人になったいまでもこういうことで悩んでいる人が多いように思う。誰かに妬まれているとか、呪われているとか。。。ご勝手にどうぞ。逆に私はそのエネルギー食べて元気になっちゃうけどいいの?と思う。

 

 

私は霊感とかスピリチュアル的な力が全くないから言えることなんだと思うのだが、呪いや生き霊よりも、私はまだ捕まっていない犯罪者や、悪知恵が働く職場の人、顔は笑顔でも内心何考えているのかわからない人の方がよっぽど怖い。

 

 

先生のブログの「覚悟をきめましょう」を読み直して思ったのは、きっと私は小学生の時に覚悟をきめたんだと思う。

 

 

 

「自分の人生は自分で決める」

 

 

何を書いているのかよくわからなくなりましたが、人からの目を気にしたり実体がないものを気にして、自分らしくなく生きている人がいらっしゃるように思ったのでブログに書いて見ました。では、良い連休をバイバイ