瀧本先生の今日のブログに私が登場しています。そのブログはこちら爆  笑

 

 

先生の分析すごいです。本当にブログに書かれている通りです。

多分、先生のブログの読者の方は「可愛い」と言われて「ありがとう」というのは当たり前じゃん。この人頭おかしいんじゃないの?私の悩みはそんなことじゃないのよ!もっと深刻なの!と思いながら読んでいる方もいらっしゃるかもしれません。というか、私はそうやって自己啓発セミナーに参加したり、本を読んだりしていました。相手と自分と切り離して。。。

 

 

もし、私のように感じている方がいらっしゃるなら、「可愛い」を「お金持ちだね」でも「素敵な恋人がいるね」でも「いいお子さんね」、「若いね」、「話すの上手ね」でもなんでもいい、褒められているのに相手の言葉を否定したくなる事がきっと皆さんにもあると思う。その言葉に変換して先生のブログをもう一度読んでほしい。きっとハッと感じる事が出てくると思うから。。。

 

 

 

私は「かわいい」と言われるのが本当に嫌だった。(←ここで過去形になっているのが奇跡だ)

まず、私の性格は、心で感じたことや思った事が口に出ている。止めることはできない。私はこの現象を素直だと思っているが、どうやら地球人には素直と感じず”エイリアン”と映るらしい。今でもこの感覚の違いを不思議に思っている。

 

 

以前の私はどうだったかというと、1月に出演したラジオでも先生がお話しされていたが、男女問わず「かわいい」と言われると不機嫌になっていた。不機嫌になっていたのは記憶にある。しかし、どうやらそれだけではなかった。友達のマイマイ(女性)の話によると先生と出会った3年前に、あるツアーで沖縄に旅行に行き、そこで知り合った同年代の女性マイマイから「かわいいね」と声をかけてくれたらしい。きっと彼女も初対面の私に気を使ってくれたんだと思う。しかし、そんな彼女に私はあろうことか

 

 

 

「あんた、なに企んでんの?」

 

 

 

 

と、一蹴し睨み返したらしい

↑申し訳ないが本当に覚えていない。マイマイ本当に申し訳ない。

 

 

 

後日マイマイからこの話を聞いたときにびっくりした。そんな人間がこの世にいるのか!やっぱり私はエイリアンだと思ったし、こんなこと言ってたら、そりゃトラブル多いよね!よくこんな私と友達でいてくれるなと本当に感謝したのを覚えている。

 

 

 

では、なんでこんなに「可愛い」に反発するのか考えてみた。

幼稚園生までの私は「可愛い」と言われて喜んでいた気がする。こんな私もプリンセスに憧れ、可愛いネグリジェで寝ていて自分が可愛いと思っていたような気がする。

 

 

そんな私に何が起こったんだ!?

多分、父と小1くらいの時に近所のスーパーであった出来事だと思う。小1の私はこの頃から酒乱の父が嫌いになっていたように思う。

 

 

そんな時、近所のスーパーで私は迷子になった。子供の私には大事件である。しかし、すぐに近くにいた身知らずのおばさん(お姉さんだったかも?)に助けてもらった。その時に言われた言葉がショックだったので今でも覚えている。

 

 

 

「お父さんが見つかってよかったわね。」

 

「顔がお父さんと似ているからすぐにわかったわ。

可愛いわね。もう、見つかったんだから泣いたらダメよ。」

 

 

あまりにもショックだった。

 

 

私が泣いているのは、父が見つかった安堵ではなく、私の顔があの父と似ているとうことだ。本当にショックだった。申し訳ないが私は父のことをブサイクだと思っていた。私が父と似ているはずがない。そしてなによりも、父は可愛くないのだ。本当に可愛くない。私は混乱して泣き続けた。もう、ネグリジェを着て寝てもプリンセスにはなれない。この世の終わりのような衝撃だった。

 

 

その後も、よく私は顔が父に似ていると言われるようになった。そんな私は可愛いはずがない。「私を可愛いという人は嘘つきだ」「何か企んでいるに違いない」「注意しないといけない人だ」と小1の私は新たなルールを作ったように思う。

 

 

さて、今の私はというと「可愛い」と言われても「何企んでるの?」とは言わず「ありがとう」と言えるようになりました。どうしてそう変化できたのかを書いていきたい。

 

 

1.まず、人から可愛いと言われたいかどうかを私の中のエイリアンに聞いてみた。

エイリアンは「YES」と元気に答えた。「NO」なら今のままでいいのである。

 

2.「鏡に向かって可愛いね」と言うといいらしいと友人から聞き、チャレンジして見る ⇨ 私はそんなことで微笑みが作れるエイリアンではない。そもそも、それが最初からできていたらこんな人格になんてならないし、こんなに悩まない。ふざけるな。お前なんて可愛くねぇよ!とエイリアンが叫ぶ。

エイリアンの圧勝である。素直なエイリアンのいう通り。

 

3.「私は可愛い」と紙に太字で書き、自分の目に見えるとこに貼り付けた。ベッドのうえ、鏡、トイレ、お風呂場、キッチンなど自分が目につくとろに貼り付けた。

これは私にとってはよかった。エイリアンもおとなしくなった。もし、家族がいらっしゃって貼り付ける場所がないとおっしゃる方は携帯の画面などでもいいと思う。それでも、貼ったりする場所がないのよねー。あなたは一人暮らしだからいいわよねー。という方はハッキリ言うが本当には変わりたくないんだと思う。私がそうだった。今でもそういう時がある。そう方は無理に変わろうとしなくていい。辛くなるから。それよりも自分の意思を貫く方にシフトする方がいいと私は思う。

 

 

そんなことを初めてたぶん1年くらいから、周りから「可愛い」と言われる事が多くなったのと、「変わってきたね」と良く言われるようになった。私の変化に一番気がついてくださるのは、初めて先生とお会いした時のお話会で偶然隣の席になった赤尾真由美さんです。最初の印象がめっちゃ最悪だったようで、いつもお会いするたびに「こんなに人が変わるなんて!」と誰よりも喜んでくださるありがたいお姉さんです。

 

 

私はまだまだ修行中で、先生がブログに書かれていた

「私はいつでも無くなっていい命である」に関しては正直まだ変化がありません。

私の次の課題ですね。それについて変化が出ててきたらブログに書こうと思います。

 

 

それでは、皆さん良いGWをバイバイ by エイリアン