私はよく人から「頭がいいね」と言われます。きっと相手は褒め言葉として言ってくれているんだと思います。しかし、私の心の中は「そんなことない!子供の頃勉強できなかったし、明石家さんまさんが仰っていましたが、頭がいい人というのは人を不快にはさせません。あなたの人を見る目大丈夫ですか?それとも私を騙そうとしてますか?」と思います。そして私の中のエイリアンは素直なので、相手にそのまま伝えトラブルになります。
この「頭がいい」ということを言われて反発したくなるようになったのは、多分中高生の頃からだと思います。それまでは、「頭がいい」と言われたら無邪気に喜んでいたように思います。
私の父は酒乱です。(本人はただの酒好きだと思っています)酒が切れているときは無口でおとなしく存在感すらありません。お酒がないと家族と会話すらできない人です。そして、酒を飲み自分に気に入らないことがあると言葉と肉体的な暴力が始まります。10代の頃まで食が細かった私はガリガリでしたから父から逃げるだけの体力もなく、父の気がすむまで殴られるしかありませんでした。”しつけ”いう名の暴力です。
その父によく殴られながら「お前は知恵おくれだから、何を言っているかわからない。お前はバカだ」と言われていました。最初言われた時はあまりにも衝撃的で大泣きしたのを覚えています。そして、さらに父は「俺は大学に出ているから頭がいい」と言葉が続きます。
そう、私の中で「頭がいい」という言葉を聞くと瞬間的に父を思い出す。酒乱で気が弱く自分のことを頭がいいと言っている父を。。。
私が憎んでいるあんな人に似たくない。だから、人が褒めてくれる言葉でも咄嗟に反発してしまうし、最悪なのはその褒めてくれた人を嫌いになってしまうこともある。相手はなんで嫌われているのわからない。私もどうしたらいいのかわからない。やめたいけどやめられない。こんな簡単なこと、普通の人が普通にできることが私にはできない。やっぱり父が言っていたように、私は知恵おくれまたは何かの障害者なのかもしれない。普通の人のように、素直に喜べるようになりたいと、いろんな自己啓発セミナーに行っていました。そんな中瀧本先生のブログと出会いました。そのタイトルは、
いろんなセミナーや本で「痛みは宝」と言われ、その都度「そんな言葉で納得できるか!ふざけんな!」とセミナーリーダー文句を言っていましたが、瀧本先生の仏法と知り合って約3年。知識ではなく心で理解できてきたように思います。
瀧本先生と知り合う前の私は、習ったら明日からイライラしなくなるとか、大きな変化を明日目が覚めたら急に変わっていることを求めていました。かなりのせっかちです。このせっかちの私がよく3年も通っていると思うとそれもすごいことです。
正直、まだ普通の方のように素直に「痛みは宝」だとは思えません。痛みなんかないほうがいいといまでも思う。でも、私の性格で痛みもなく経済的にも困らない人生だったら、きっと歴史上最悪の悪女になっているでしょうね。
また、明日も気づきを書きたいと思います。