私の中にいるエイリアンは人と違う動きをします。そのため、職場でもプライベートでもエイリアンと言われます。私が普通だと思って行動することがどうやら世間のルールと違うようです。

 

例えば、私の中にいるエイリアンは心で思った事を口に出します。それも大声で。中学生の時に演劇部だったので発声練習は毎日していました。そのせいか、私が小声で話しても、体育館の裏までよく声が通る。

 

この地声の大きさで困るのが、独り言でボソッと文句を言うと本人に聞こえると言う事。私が小声だとしても、本人に聞こえてしまう。。。

 

多分、地球人は「困った!どうしよう?」とか「もう文句言うのやめよう」とか思うと思いますが、私の場合「本人に聞こえたんら仕方ない。だって本当のことだもの。思った事は本人に正直に言わないと。言えない事なら他人にも独り言でもいわない」

 

 

この根底にあるわたしのルール

 

 

 

「人の目を気にしない」「人の目を気にしたら負け」

 

 

ですので、瀧本先生のブログの”人の目”を拝読したときの感想は、

「人の意見に左右されるなんて軸のない人なんだろう。こういうジメッとした人嫌いだわ。自分がやりたい事やりゃいいじゃん」と思っていました。(右差しブログはこちら)

 

 

 

しかし、2018/3/19のラヂオ岸和田の「瀧本光静とおろかな仲間たち」で

”人が落としたゴミを拾うと自分にいいことが舞い降りてくる”とお話しされていて

ゴミはゴミではなく、ゴミ=チャンスなんだとお話しされていました。

 

早速私もやってみよう。簡単にできるだろうと、通勤鞄にコンビニで多くもらったコンビニ袋を忍ばせてゴミを拾おうとチャレンジして見ました。私のオフィスは新宿なので、まぁゴミなんてすぐに目につきます。

 

 

さて、私はチャンスを拾えたのでしょうか?

 

 

初日は拾えませんでした。。。拾えなかった理由、、、人の目を気にしたから。。。

 

「こんな大勢の人の前でゴミを拾ったら、誉められたい人みたいで嫌だ」と私の中のエイリアンは叫びます。そして、一瞬でエイリアンの勝利!

 

 

そして思う。あ、私も先生のブログに登場した相談者の人と同じだと。

人の目で行動を止める人なんだなぁって。

 

 

そう思ったら、相談者のような人は嫌いな人なのではなくて、自分がやりたいことができなくて辛い人なのかも?

 

と、今まで人を”こいつバカだな。人の悩みなんて私よりも軽くてわからない。わかりたくもないわ”と思っていたけど、自分がやりたい事を止められているなんて辛いなと少し感じるようになりました。

 

そうえいえば子供の頃、両親にお友達と遊園地に行きたい。英会話の学校に行きたい。色々お願いしたけどほとんど答えは「No」で自分のやりたいことが出来なかった辛さを思い出した。

 

ブログを始めたくても、始められなかったのもそう。

やらない理由は、めんどくさいからと言うのも勿論あるが、多分それは第2位で、1位は人の目だ。人に文句言う割には肝がちっちゃいな。

 

 

今まで、人の悩みなんて私にはわからないと思っていたのに、ようやく人の悩みとの共通点がわかってきたのがすごく人間に近づいたなぁと思う今日この頃です。