2024/9/15 瀧本先生が講演された【奈良こころ道】に参加しての気づきを綴りたいと思います。

 

 

最近いつも以上に愚痴が出ている。ダメだと分かっていても止まらない、、、

感謝が足りない時は愚痴がでる。頭ではわかっているけれど止めらない。

 

 

先生に何度も感謝の意味や実践方法を教えていただいた。けれど、愚か者の私は愚痴が出ている時はそもそも何に感謝していいのかわからなくなる。私だって頑張っている。もっと評価されていいのではないか。そもそも何に不満なのかもよくわからないが愚痴が出る。そういう時は「ありがとう」や「おかげさま」という言葉が少なくなる。感謝が少なくなってきているなと気付けていることは学びの成果だとは思うけれど、ただ闇雲に「ありがとう」と言っても心がこもってないので、感謝の言葉がまるでホコリのように私の口から吐き出されていく。そんな心で講演会場にいました。

 

 

 

先生の本気のお話を聞いて目が覚めました。

 

 

 

ただ私が本気で生きてなかっただけだったと。講演会場で先生がお話しされたのは、20代の頃交通事故で車が大破し右腕に神経がなく動くのは不可能なため切断するこしかないとなった時、自分の意思で動かなくなった右腕に対して”なぜ動かないんだ!”と恨んでいたこと。ご友人が気晴らしにとファッション雑誌を持って来てくれた時に、右腕がなければ洋服も着こなせない、ボタンも靴紐も片手では止められない、、、そのやり場のない怒りからその雑誌を壁に叩きつけ絶望を味わったこと。

 

 

 

 

その時に1冊の本に書かれていたお釈迦様の言葉に出会って人生が変わり、先生の座右の銘になったこと。

 

 

 

 

 

 

右腕が全ての犠牲を引き受けてくれたから左腕がある。右腕を恨むのではなく右腕に感謝できた。言葉に出会った時に捉え方が180度変わった。そして、感謝が体に染み渡り右腕がかすかに動くようになった。医者も奇跡だ!こんなことはありえない!という驚かれたそうです。

 

 

と、いうお話を先月危篤状態になった先生が本気で話して下さっているあり方を見て、何に感謝したらいいかわからないとか、そういう次元ではなく私が本気じゃないから見つからないだけ。捉え方が変われば恨んでいた対象が感謝する対象になる。それが法話、これが仏教の学び。捉え方は学ばなければ変われない。そして、学べる時も限られている。自分の心が平常心の時でないとなかなか聞いても腹落ちするまでに時間がかかる。

 

 

 

他に、参加して良かったと思ったのは、講演会を主催されている田中様(トトさん)が作る会場の雰囲気の温かさ。感謝に溢れた会場。。。猛省しました。東京のお話会を主催をさせていただいているけれど感謝が足りなかった。いや微塵もなかったなと。先生が好きでみんなお話し会に来ているから、邪魔しないようにしようというような感じでした。これは一事が万事で職場の飲み会とかもそうなので、感謝できない原因を私が作って、その通りの原因になって愚痴ってるアホだったなと俯瞰して見れて本当によかった。

 

 

ほぼ2時間休憩なしの本気の講演。自分の文章力がなく「本気」という言葉の意味を表現できないのが悔しい。これはオンラインでも文字でも伝わらないと思うので、ぜひ1度は体験してほしいです。比喩が適切ではないと怒られるかもしれませんが、先生の講演会は瞑想に似ているんじゃないかと思います。

 

 

今後、お話会は奈良こころ道に専念されるとのことです。

ご参加される方はこちらまで。