クリスマスはイエスさまが生まれた日を記念するときですね。イエスさまが生まれた日付けは聖書に書いてありません。 12月25日に生まれたわけではないので、クリスマスを祝うことは聖書に反していると考える人もいるようですが、私はそうは思いません(そう考える人の意見も尊重しますけれど)。何月何日に生まれたことがわかっていなくても、イエスさまが生まれたことは歴史上きわめて重要な出来事です。神といういと高き存在が、わたしたちの罪のみがわりとなるために人間の姿をとって、しかも「赤ちゃん」という本当に弱いかたちをとられたことは、どれほど深い意味を持つでしょうか。人類にとって、いや「わたし」にとってそれはどれほど大きな意味を持つのでしょう。神さまは十戒を通して、律法を通して(つまりは旧約聖書を通して)、人間はこう生きなさい、これが幸せのカギである、ということを教えてくださいました。しかし、人間はそれを守ることができません。このままでは人間は、その罪の――つまりは自分中心の考えの――ゆえに、死を迎えることになります。罪の報いは死だからです。神さまのひとりごが、イエスさまという一人の人間の姿をとられたのは、 1つには、律法という言葉だけではなく、具体的な実例としての人間となって「愛」を教えてくださるという意味があります。イエスさまの教えだけではなく、イエスさまの歩んだ人生そのものが、私たちのお手本となるのです(それはまた、WWJD ... What Would Jesus Do? というスローガンでもありますね)。
イエスさまの人生を聖書を通して学ぶと、確かにイエスさまはすばらしい教師なのですけれど、単に教えただけではないことがわかります。人生のはじめからイエスさまの姿は謙遜でした。家畜小屋で生まれたことの意味を考えましょう。きたない家畜小屋にやってきたイエスさまは、きっと私の汚い心の中にも来てくださるでしょう。心がきれいになってから神さまがやってくるのではなく、心をきれいにしていただくために、心がまだ汚いうちにでもやってきてくださるでしょう。心を開いてお迎えしましょう。
イエスさまの奇跡は人を励まし、人の病をいやし、希望をうしなった人に光を与え、死んだ人を生き返らせました。これはどんな意味を持つでしょう。イエスさまを信じる人には、どんな人にも最善のすばらしいことが起こります。人間の想像を越えた不思議なことが起こります。「ああ、おれは生きているんだか死んでるんだかわからない。毎日生活しているんだけれど、はりあいがない、これはまるで墓場の中にいるのも同じだ」という人はいるでしょうか。イエスさまはそのようなあなたのところにやってきて、ラザロよ、墓から出てきなさい、というでしょう。タリタ・クミ、起きなさい、というでしょう。死んだ人を生き返らせることができるイエスさまは、死んだようになっている人に本当の人生を与えてくださるでしょう。
イエスさまの十字架を考えましょう。イエスさまは不正な裁判によって、無実なのに十字架につけられました。信頼していた弟子たちからものの見事にうらぎられました。つばをはきかけられ、むちうたれ、みんなのまえで十字架にかけられて殺されました。これ以上のはずかしめがあるでしょうか。この十字架にはどんな意味がありますか。「ああ、わたしは誰からも大事にされない。信頼していていたあの人からは裏切られ、せっかくがんばっていたのに、無視され、だれからも大事にされない。体はよわいし、能力はなにもない、自分の持っているものまで全部とられてしまった。私のことを理解してくれる人はこの世に一人もいない」こういう思いを抱いている方はいるでしょうか。イエスさまは、そういうあなたのお気持ちをご存知です。なぜでしょう。イエスさまは、あなたとおなじ目にあわれたからです。しかも、自分にはまったくなんのとがもないのに。イエスさまはあなたの気持ちをご存知です。あなたのことを、誰よりもよくご存知で、あなたの感じているいきどおりも、つかれも、無力感も、すべてご存知なのです。そしてイエスさまは、あなたのことを愛しています。ほかの誰一人としてあなたのことを見向きもしなくても、イエスさまは、あなたのことを丸ごと愛し、大事に思っておられるのです。だからこそ、イエスさまはあなたが死ぬ身代わりとして十字架にかかったのです。
イエスさまの生涯は十字架の死で終わったのではありません。イエスさまは3日の後によみがえりました。死に勝ったのです。そして、どん底から天上へとのぼられました。これは、どん底にいる私たちもいっしょに引き上げるためです。イエスさまはわたしたちといつもともにおられ、わたしたちを愛し、わたしたちの命を救ってくださるのです。
もうすぐクリスマス。
クリスマスは、このようなすばらしいイエスさまの誕生をお祝いするときです。
イエスさまは、ほかならぬあなた――いまこの日記を読んでいる、ほかならぬ あなた――のために、ちいさな赤ちゃんとなって、この地球にこられたのです。
イエスさま、ありがとう。神さま、感謝します。