腰を痛めるということはね、本当に危ないことだね。だからといって、腰を鍛えなかったら、人間は強くならないのよ。
筋肉を発達させることと、人間として強くなることは違うんだ。
アメリカ辺りでは、トレーニングジムへ行くとマシーンの高級なのが置いてあるけれども、多くの人が使うために、腰は使えないようにしてある。
理由は簡単、下手な稽古されて、腰を痛められたら、ジム側の責任にされかねないからね。裁判大好きだから。フリーウエイトやるのでも、なんか、腰にベルトまくでしょ。
体の腰は、人間の心の腰でもある。腰を鍛えたら、人間が強くなる。
昔の道場で新参者に、雑巾拭き掃除、薪割り、井戸くみさせたのは全部、腰の鍛練だし、それが出来ないと話にならない。
だから、俺は自分で毎朝、道場を全部、自分で拭くんだ。これが出来なくなったら、俺は空手をやめる時だと思う。
農村のおばあちゃん、農作業で体鍛えてるから、体力もあるけど、腹が出来ていて、人間も強いよ。
目が頭にも着いてるけど、腰にも目が着いてるよ。
頭についた目で形見て、腰についた目で物事の本質を見ている。目、口、耳、鼻、これも腰の出先機関だ。
頭で考えたら、解答は沢山。腹で考えたら、解答はひとつ。前者は概ね、西洋哲学、後者は東洋哲学。だから、大山館長は
「西洋哲学者は青瓢箪が多く、東洋哲学者は逞しいのが多い」
と言った。
日本人の昔からの作業というのは精神を培いながらやれるように出来ていたんだね。
腰を慎重に地道に鍛えなくちゃ駄目だよ。
精神不安だって直る。
雑巾がけは立派な修行だよ。
(聞き書き 不動武)
