先日、11月19日はスタジオ開業5周年記念日でした。

 

2018年の11月19日に始まったマイスタジオ、場所を移転しながら、

来てくださる皆様のお陰様で6年目に入る事ができました。

本当にありがとうございます。

 

 

 

今の私にできることを真摯にやる。

本当に価値と効果のあるものを提供する。

すぐに伝わらなくても、届く人にまずしっかり届ける。

 

せっかく来てくださっても、届く前に終わってしまう方もいる。

そういうときは私がやっていることは価値がないのかも、とか思ってしまったりもするけれど、

そうではない、ちゃんと受け取って続けてくださっている方がいる。

そこをちゃんと見て、今私にできることを真摯にやる。

 

 

毎回、そこにいる人の心と魂と繋がり、

今目の前にいるこの人に一番必要なセッションが届けられるよう、

導いて頂けるよう、祈り宣言をして、セッションを始めます。

 

 

自己紹介兼ねて、ここに至るまでの超端折ったダイジェストを書いてみることにしました。

 

ーーーー

私はずっと広い世界に行きたくて、高校時代までずっと大きなジャンプをするために

しゃがんでぐぐっと耐えて準備をしているような状態でした。

 

小学1年生のころに外国で暮らしていたから、

日本に帰ってきて漢字も書けない、算数もわからない、地毛が茶色くて外国にいたから外人だと言われたり。

未熟な私はもう2度と外国には行かない!

と言って、英語も喋れないふりをして、本当の自分を隠しました。

 

 

高校生になった頃、世界ウルルン滞在記という番組に感化され、やっぱり広い世界を見たい、

広い世界で、いろんな人たちと出会い、体験して味わいたい、と、

自分に課した制限を外し、イギリスで9日ほどホームステイをすることにしました。

 

そこでの体験や出会いがあまりに貴重で、大きくて、

たった数日の滞在での体験がこんなに貴重なものだったら、

大学の数年間になったらそれはどんなに凄いことだろう、と思いました。

 

だから私は日本で進学するのをやめて、海外の大学に行くことを決めました。

なぜ行きたいのか、両親には何日も説得をしました。

学費も滞在費も、たくさん借りることになるので、

最後には許してくれた環境にとても感謝しています。

当時から、本当にやりたいことに関しては実現するまで、本気で向き合ってきたように思います。

 

 

最初は灼熱のネバダ州から始まり、

今となってはどうやったのか思い出せないけれど

編入方法を調べて、全部自分で手続きをして半年で航空学部のある学校に編入し、極寒のノースダコタの地に暮らしました。

ここでも本気になるとなんだかんだで成し遂げる私でした。

ちょっとでも最短で卒業する為に、

夏季休暇も日本に帰らず夏の授業を受けて、

トータル3年半で卒業しました。

 

 

19歳くらいの時、在学中に大陸を鉄道で半分横断して、ノースダコタからシアトルへ、

そこからアラスカへいく、という当時の私には壮大な一人旅をしました。

オーロラを見たくて、アラスカを目指しました。

 

何も持っていなかった私でした。

シアトル行きの鉄道の中では、隣に座っていた人が食堂でごちそうしてくれました。

ラウンジで楽器を弾いている人たちと一緒に歌いました。

 

到着したシアトルでの出会いは、その後の私に大いに関わる出会いでしたし、

そこからついに降り立ったアラスカでの出会いは、その後の私に大いに関わる出会いでした。

そこで終わらず、後に再開したり、ともに暮らしたりするような出会いでした。

初めてオーロラを見ました。

現地で出会った人に車に乗せてもらって、壮大に見れる場所で、壮大なオーロラを見ました。

現地のハンターの人がムースの肉をくれました。

フェアバンクスで年越しをしました。年越しの花火をバックにもオーロラが出ていました。

 

 

卒業してからは、日本に帰りませんでした。

卒業後、学部に関わる内容ならしばらく働けるというビザを取って(どうやってとったのかすら思い出せない)

在学中に心から繋がれた世界各国からきた数少ない仲間達と別れて

なんのあてもなく、一人旅の時に気に入ったシアトルに行ってみることにしました。

 

ものすごい勢いで、どんな仕事でもなんでもやるから!という勢いで死ぬ気で仕事を探し、

まさに1日1ドル生活、バックパッカーの宿で暮らしました。

一人旅の頃に出会った人たちとここで再会したりもできました。

一時的に航空博物館の仕事を得て、そこでも、バッパー宿も心温まる仲間ができました。

 

 

そのうちにアパートを借りて、なんとか生きていきながら、

やっぱりアラスカにまた行きたい、と思い始めました。

シアトルの皆と離れがたくなっていたけれど、

博物館を辞め、違約金を払ってアパートを解約し、

またしてもなんのあてもなく、思い切ってアラスカに行きました。

 

ひとまずアンカレッジに行ったら、

ここでも一人旅の時に出会った人たちがまだいて、温かく迎えてくれました。

ここでも何十件も応募して、死ぬ気で仕事を探して、

フェアバンクスで一時的な仕事ができることになったので、移動しました。

ここでも一人旅のときに出会った人たちが温かく迎えてくれたのでした。

ノースダコタもそうだったけれど、マイナス数十度の極寒の世界。

そんな地でとても生きている感じがしました。

 

 

その後、突如として仕事を失った私は、

アンカレッジでお世話になった仲間が住んでいるタルキートナに呼ばれて

行ってみることにしました。

水道のない小屋で、しばらくともに暮らしました。

ずっといていいよ、と言ってくれたけれど、

日本に帰ったら航空管制官の試験を受けようと学生の時から決めていたので、

今だ、と直感がきて、日本に帰国を決めました。

 

 

すごいダイジェストでしたが、ここまででヨガというものをしたのは2回だけ。

ノースダコタの在学中に知り合った人が、大学のジムでヨガクラスをやるから来てと言われて行ったのと、

シアトルでとても尊敬してた仲間がヨガをやっていると言うので、

1回スタジオに行ってみた。それだけ。

 

 

帰国したのは2005年の半ばでした。

航空管制官の試験を受けようとしていたので、

バイトでつなぎつつ、空港の航空整備に関わる仕事を一年近くやっていました。

 

あるときふと、どうせつなぎでやるならせっかくだから航空と関係ない仕事をしよう!

といきなり直感で思いました。

 

たまたま出会った求人で、ホットヨガのスタジオの仕事があって、

本当につなぎのつもりで応募してみました。

下降していたヨガがまたちょっとずつ認知され始めて、上ってきて間もない、

2006年の7月ごろでした。

 

当時、ヨガとは何かよくわかっていなかったけれど、

研修のときにはすでに、これは半端な気持ちじゃできない

というのがすぐ分かりました。

だから本気でやりました。

デビューしてすぐ、自分の道がこちらにあることが何か直感でわかりました。

管制官の試験を受けることは完全にやめて、本気でこの道のプロになることを決めたのでした。

 

 

3年間、本気でやっていたら

スタジオの指導をしながら店舗運営をやらせて頂けることになり、

さらに数店舗の運営もやることになりました。

ちょっと私の行きたい本当の道から外れてしまいそうになってきたので、

指導の仕事で独立しようと思いました。

難解なヨガではなく、当時自分にとってまだ分かりやすかったピラティスの方で独立しようと思っていました。

 

やはり、本来の道からずれると軌道修正が入るもので、

突如、シンガポールを拠点にした客室乗務員の仕事を2−3年やることになりました。

なぜ??!って感じですね。。

本気でやりたい人がたくさんいるはずのCAの仕事を、なぜ突然私がやるの?という不思議。

だけどこの期間があったから、

私はピラティスじゃなくてヨガの道を再びゆくことになるのでした。

 

心からヨガの仕事をやりたいと思ったのはこの期間があったから。

 

 

そして帰国を決めた2011年、いちから修行させてください!という勢いで入ったヨガの会社。

ここで、私は今の私につながるメソッドや先生方に出会います。

そしてやってみたかったヨガ通訳の仕事もやらせて頂けることになり、

3年後、日本ではまだいなかったそのメソッドの日本では初の認定講師となり、

ずっと海外講師が担当していた指導者養成講座も担当させて頂けるようになりました。

 

これまでのどれが欠けても、ここには辿り着かなかった。

直感と出会いで繋がったプロセス。

 

 

そして時が来て、2018年2月に開業し、11月にスタジオをオープンしたのでした。

場所を移転したり、何度も一文無しになったり、コロナの試練でいろんな気づきがあったり。

それでも淘汰されずに、まだやっていていいんだ、と思えた

たくさんの出来事がありました。

 

 

2022年の3月にある合宿で、高野山にて、

本当のマスターとなる為に、大切なものを捧げることがありました。

改めて私がこれからやっていくことを明確にし、覚悟と責任を果たすことを決めました。

勇気をもって、2018年当初からやってきたスタジオの名前(Studio ZONE)と拠点を献上し、捧げ、捨てました。

名と場を捨てても、繋がりは断ち切るな、というメッセージも来ました。

 

それから1年弱、場所は名無しのスタジオで、新しい拠点が決まるまで、

スタジオの形を変え、ただの加藤紅彩としての活動に変わりました。

 

 

その後、家もスタジオも手放して新しい拠点を決め、

2023年3月3日に「阿吽の樹」という名の

ヨガとアーユルヴェーダのスタジオとしてリニューアルしました。

 

 

今に向き合って、感覚と直感に従っていけば絶対大丈夫。

その連続で、今ここにいる感じです。

 

全てが素晴らしく、本当に感謝。

生かされています。

 

ーーーーー

 

 

そんな中迎えた最初のスタジオオープンから5周年の日。

記念すべき日を、、、

 

 

忘れていました!!!

 

 

 

せっかくなので自己紹介兼ねて、超ダイジェストでオープンにここまでの道を記してみました。

また機会があればピックアップして語ってみようと思います。

 

みていただいてありがとうございました。

 

 

今後とも

スタジオともに宜しくお願いします!

 

 

 


 

 

ヨガクラス毎日やってます🔥

↓↓↓

 

https://aumtree.biz/

阿吽の樹 ヨガとアーユルヴェーダのスタジオ