11月の東京旅では、上野の森美術館のモネ展も見てきた。
張り切って事前予約して、開場同時に入ったのに、大混雑😂
ミュージアムショップも入場者限定で、売り切れ多数😂
しかし、これもまた嬉しい。
知らない人だけど、皆モネを見にきた人だと思うと、妙に心が優しくなれた。
で、モネ展で写真を撮っていないことに今気づく。
ジヴェルニーに行って、モネは目が眩むほどまばゆい光の中にいることを、選んだ人だと思った。
モネの絵には、そのまばゆい光と、移ろう風が描かれていると思っている。
その色の境界は、グラデーションというのとは少しニュアンスが違うように感じた。
なめらかに溶け合うというより、それぞれの色の境界を光が曖昧にしている、と思う。
光と影
水面と空
空と土
色の境界
本来反対に位置するものですら、光が、その境界を眩ませて、
調和させている。
全部が対等だと思わせてくれる。
私は対等だと思うのに、少し抵抗があることがあった。
平和と混沌、とか
安穏と暴力、とか
心が痛む場面を見聞きすると、この存在も神がお許しになったのだなと受け入れつつ、やっぱり悲しい気持ちになる。
ジヴェルニーに行く道中で、モネが戦争の砲撃の音を聴きながら、描き続けた話を聞いた。
退避を勧められながら、ジヴェルニーの家にとどまって、モネは絵を描いたのだそう。
その話を聞いたとき、思わず涙がこぼれた。
でもその理由を、うまく言葉にできなかった。
平和と混沌ですら、
まばゆい光が境界を曖昧にしてくれるならば、
私の中で今、ようやく対等なんだなと許せる気持ちになった。
その上で、やっぱり心が嬉しいのは平和なんだ。
平和と混沌の境界が曖昧な世界で、モネはしっかりと平和を選んで、それを絵に残してくれたから。
そのモネの絵が、世界中のたくさんの人を魅了しているという事実が、やっぱりとても嬉しい。