10月半ばに一時帰国から戻り、ディワリ休暇

はやんちゃな過ごし方をしていたら。。


休暇の最後の日に日本の母から電話がきた。


父が緊急搬送されたとびっくり


とりあえずは、今のところ入院しているから

問題ない。と、震えた声で…。


もちろん、ケアマネさん、訪看さん、その他

福祉関係者の方々には、前々から付いて頂い

てはいるが、それでも、もちろん、よくなる

ということなない父の状態なのは変わらず。。


親友からの一言で、急遽帰ることとなった。




着いてみたら、つい先月とは、全く状況が

変わっていたことに驚きしかなかった。


父の病状はもちろんのこと。何がって、母。

物忘れはもちろん、新しいことや、得意

でないことへの拒否がすごいw


ここまできて、まだ、そんな事をいっている

の?と言いたくなるほどの判断力の無さにも

愕然としたw



父の場合、退院後は、見守り下での入浴と

リハビリが必要になること。それを全面に

打ち出して、担当のドクターにも説得の

お手伝いをしてもらって、病棟中に聞こえる

ほどの大きな声で、耳の遠くなった父を必死

で説得し、ショートステイとデイサービスに

通う事を納得させる。

この時、きっと、ドクターやナースさん達は

「そんなにまでして必死に説得しなくちゃ

ならやいくらいなら、日本に戻ってきてあげ

ればいいものを。。」って思われていたの

かもしれないなーと、自分を責めながらでは

あったけどショボーン


母にも、父から少し離れる時間も必要なの

だと思い、筋トレ感覚リハビリができる、

デイサービスを勧めた。母は気に入り、そこ

に通うことは、快諾したもののー。

その手続きで、書面に記名したりした一連の

流れを全く覚えてないw


次は父をデイサービスに出す事が心配だ

と言い出す。お父さんの世話は私しかでき

ないびっくりマークと言い張るw

そんなに惨めな思いさせられないと…。


一命を取り留めた父を見て、もう元気に

なったのだから。。と言い張る(まるで

出来物をちょっと切開したから、もう治った

とでもいうような感覚で)


言ってる事と、次に言う事、そして、やって

ることのアンバランスさを指摘すると、

「ボケてるって言われて、頭の中がどうにも

ならないほど悔しい〜」とベットに突っ伏し

て号泣。。



何より一番辛かったのは、

「今回は本当に世話になった。感謝してる。

もう大丈夫だから、夫の待つインドに帰れ」

と言う父の声が涙声だった事と。。


「また、明日から寂しくて寂しくて。。」と

胸に抱きついて泣きじゃくる母の小さくなった

肩を抱きしめた事。。


もちろん、どうでもいいと思ってるわけでは

決してなく、できるだけのことをさせて

もらいたいとは思うけど、やはり、こうなっ

た時に思うのは、日本とインドは遠いガーン



ただただ、ただただ、待っていて。。


と願うしかない。


何が正解で何が不正解なのか、答えはずっと

出ないだろうけどタラー




母の様子をお話ししたら、ちょうど同時期に

一時帰国予定の《育ジィバァ仲間のお姐様》

がご自分の一時帰国のための大事なスーツ

ケースの一角を惜しげもなく使って下さって、

インドからサプリを届けて下さった。

お姐様と、お互いインドに戻ったら、介護話

をネタにして笑おうね‼️といいつつ、踏ん切り

をつけた今回。



今年も実家のレモンが🍋収穫できました。


来年のこの時期、私はどこで何をしてるのか?







それにしても、インドの空、白い。。




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