今日はグレゴリオ暦での"復活祭"。
ヨーロッパや日本ではキリストの復活祭は今日、ですが、エルサレムでは正教会のカレンダーでの復活祭がメイン。

聖墳墓教会は今、大規模修繕中で、今日はイエスが寝かされた石板を取り囲むランプがすべて外されて、石板のみの状態に。めったに見られない光景。


ランプが外されて、石板のみ。
こんな状況はめったに見られない。



2日前の聖金曜日にはヴィア. ドロローサで「十字架の道行き」の儀礼行進が行われましたが、そもそもこの"ヴィア. ドロローサ"(悲しみの道)という言葉はラテン語名。



私も今日に至るまで特にこの単語に何か思うところはなかったのですが、今日ふと「...なんでラテン語なんだろう?」と思いました。



何故なら、よりキリスト教の原点に近いのは"正教会"だからです。



だから、本来ならばギリシア語やアラム語で記されるべき。ところがそうではないのは...。




それはやはり、11世紀にエルサレムへやってきた「十字軍」の影響が大きいからです。

現存のヴィア. ドロローサは十字軍が整備したと言われ、ヴィア. ドロローサ内はカトリックの教会が多く、すべての係留場所もラテン語表記がされています。



なんといっても今の聖墳墓教会自体が十字軍によって建てられているから、中世フランス式とビザンティン様式が混ざった折衷スタイルの建物。(一時期はイスラム勢力によって、教会自体が破壊され、なくなってしまったことも...)


聖墳墓教会、イエスの墓と天井ドーム。
中世フランスの建築様式に正教会スタイルのイエスの墓。




だけど現在、カトリックはエルサレムのメインストリームではありません。ギリシア正教会が最も力を持っています。



それもこれも、時代によって流れが変わっていったことによる歴史の層が、こういったエルサレムでのキリスト教の在り方に反映している。




つくづく、興味がつきないと思いました。

イエスの墓の前に並ぶ人々。

水色が印象的なカトリックのシスターたち。

旧市街は今、ラマダンの真っ最中。


宗教の坩堝のエルサレムならではの光景。