もう30年前にもなるある日、母から電話があり父が三鷹で仕事中に倒れ救急搬送されたと聞いて池袋から三鷹の病院へ駆けつけた。病院のベットの枕元には土建業の仕事ではいていた汚れた父の長靴が置いてありそこに横たわる父がいた。不整脈による脳梗塞に至る初期の頃だった。三鷹駅からバスを乗り継いで病院通いしコインランドリーで洗濯したりした。想像してみた。昔から道路工事現場の重労働で冬の寒い夜に土地勘もないような所で働く父。俺には決してまね出来ない仕事。自分の妻や一人息子を秋田の遠い家に残し愛知県の豊橋や遥か遠くに出稼ぎに行く辛さ。そして出稼ぎに行く時に息子が父に家にいて欲しくて泣いてそれを妻がなだめる姿。出稼ぎに行く方も行かれる方もどんなに辛くて寂しいか計り知れない。必死で家族を守って戦ってくれてた父。私もそんな父親になりたい。