松山千春 芸術の森ライブレポート | 人は誰も君のブログ

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松山千春、浜田省吾、
昭和アーティストのライブ、作品を中心におもうまま語っていこうと思います。宜しくお願いします。



芸術の森の初日のセトリです。このライブ映像は商品化さ
れてるのでいつでも見直せれるのが有りがたいです。
2日目も同じOブロックでした。左サイド後方エリアでして。
オープニングの夢の旅人はアレンジがオリジナルと
違い別の曲にきこえました。個人的には1982年の真駒内野外ライブのオーラスのアレンジとグルーヴ感が1番ですね。

本編ラストは大作連発ではなくなってました。
初日のハイライトはアンコールの弾き語り「私達の望むものは」だったと思います。リスペクト岡林信康ですね。

3年後高知で加川良、下田逸郎とライブハウス公演を
することになりますが岡林信康ともライブハウス公演して
ほしかったです。


2日目のセトリです。



今回は自身初の北海道ライブについての
レポートです。

松山千春の地元北海道の野外ライブはイコール
松山千春の栄光の伝説といっても過言じゃない

でしょう。


コンサートファイルの中に額と一緒に渡した手紙のコピーがあった。原文は千春さんに渡り多分読まれたであろうが
100%この世に存在しないでしょう。これはあの時の素直な気持ちが書いてあり一歩間違えば迷惑行為でしたが若気の至りと云う事でお許し下さい。自分でもきざな奴だと思います。見返りを求めるなら最高のコンサートを期待する
などと。千春に言われますね「バカヤローいつでも最高のコンサートだろうが」と。
しかし27年前の自分の素直な想いだったのでしょう。

2日目かな、オーラスの「勇気ありがとう」から雨がきつくなり心の中で「どうか、あともう少しだけ雨よ、これ以上きつく降らないでくれ頼むーーーー」と叫んでました。
歌い終わった千春が観客に「どうも、ありがとうございました、最後までありがとうございます、元気で、元気で、どうーーーーも」と元気で2連発を言ってくれて、びしょぬれになったけど今となっては良い思い出です。

ライブはこの1曲が響いたとかあのMCが良かったとか
個人で色々だと思います。会場、会館が印象に残ったとかでも。何か想いが残れば、それだけで十分かと思います。


愛媛県松山で種田山頭火の墨彩画を書かれる高橋正治
さんに書いて頂いた「まっすぐな道で寂しい」を額に
入れライブ前に千春さんに渡すためにスタッフテントまで
行きました。基本立ち入り禁止エリアですから、少しドキドキしながら思いきって声を出した。患者さんに高橋正治さんと交友のある方がおられたので書いていたました。

「すいません、ファンクラブに加入してるファンなんですが、種田山頭火の墨彩画を千春さんに渡してもらえますか」と。確か当時オフィスゲンキ社長、ステージプロデューサーであった(間違いかもしれませんが)横山和之さんが対応にあたってくださった。同時に同じ様に書を書いてきた女性ファンが先に来ておられ横山さんがその書をみて
女性ファンと話されてた。で自分の番になり「そうか、松山いるけど、どうする会っていく?」と心臓が爆発しそうになり本当は「はい、いいんですか」と言いたいのをグッとこらえて「いえ、渡してもらえばいいので」と心とは
真逆の返答をしてしまった。

別に握手とか一緒に写真とか撮ってほしかった訳じゃない
自分の12年間の想いを墨彩画と手紙を千春さんに届けたかっただけだから。

しかし額がかなりデカく飛行機で機内には持ち込めず
お荷物ゲートまで取りにいかなればならないし
芸術の森会場まで電車、バスの乗り継ぎで持って歩くのが
大変だったから、渡せて両手が自由になりようやくライブ集中モードに切り替えができました。