足枷の元を断った。
行動も気持ちも協力的でないと良い方向にいかないもんです。
みんな幸せになるべきだと思うし、その権利を邪魔すべきではない。
正直空気が重い、悪いというのは精神的に厳しい。
がまんする、というのは基本的に良くない事だと思います。
笑いたいなら笑い、叫びたいなら叫んで、泣きたかったら泣いたほうがいい。
溜めちゃうのは良くない。部屋の空気入れ替えるように循環していかないと。
何らかの改善点があるなら突き詰めたほうがよっぽど良いのは
誰でも容易に想像が付きますが、端からする気がないものに関しては
縁がなかったな、とそう思うしかありません。
変わったらいいなとは思うけど。
そしたら建設的な方向へ向かうだろうし。
小さい頃に大人はみんな心に余裕があって弱きものに優しい。
そんな風に思いつつ、実際大人になってみたらば全然そんな事ない。
むしろひどいとさえ思うわけでして、マナーって何のためにあるんだろうと
自分はエラソーにするのもされるのも正直だめっす。
偉そうにされても…どうリアクションすればいいのかわからんくなります。
媚びるのもそういう自分が気味悪いからできない。
生きるなら対等な感覚で接するのと、向上心とユーモアが必要です。
たったこれだけでみんなめっちゃ楽しくなると思うんだけど。。
どうして偉そうにしたり邪魔したりするんかな。
なんも生まれないよ。
どっちも気持ちを濁らせるから。
そう思うし
たとえばレッスンなんかでは生徒さんのやり方がどうであれ
どう思ってるとか、練習しなかった覚えてこなかった
何があっても、間違っても否定しません。
何も進まないからです。
せっかく来てくれているのに追い返してるようなものだ。
それに過去の事だから
よしじゃあ今からできるようにやっていきましょうって方が
何かと良い方向に進むはずです。
だから自分は
偉そうにしない、媚びない、(色んな意味含)邪魔しない
そう思います。
でね、偉そうにしないってとこだけど
思い返してみると
偉そうにしてる人とは人間関係希薄なんだな。
付き合いが希薄。
偉そうにしてない人とはその逆で。
良いバランスで関係を保てると思ってる。
媚びてる人は本心が隠れてるから
これまた希薄。
そういう意味では所謂毒が吐けない人はちょっと苦手だ。
何考えてるのかわかんないしね。
どう転がろうと、正直に生きる。
これに勝るものはないと思うのです。
おしまい。