以前まで宗教上(ウソ)頑なに肉を食べる事を避けていまして
今もどちらかといえば避ける方ですが、意識的にはそこまでカタくありません。
出されたら食べます。非情な言い方ですが、市場に出てしまったのは
「もう仕方ない」と思っています。
食肉に関するページを何気なく見てたら
「何かの宗教なの?」と食肉肯定の方から声がありまして
普通はそう映るのか~と複雑な気分でした。
宗教を批判するしないではなくて、そう思われる場合が
ある事にちょっと考え物です。
もっとも自分も最強に肉食わなかった時期に
そんな風に遠まわしに言われたり、偽善だといわれたり
これの温度差はすこぶるありました。
マイノリティはなかなか風当たりが厳しいです(笑)
何とかして理解させたいなと思う時期もありましたが
わたくし最近悟りを開きまして(笑)、受け流せる人になりました。
あ、、でも完璧とは言えないっす…人間ですからヽ(;´Д`)ノ
↑は肉の話ですが、それも含め大抵の出来事や行いに対して
寛大になれるようになったというか許せるようになりました。
明らかに悪意あるものに眉をひそめる可能性はありますが
何かにつけて否定的な態度や行動言動は何も生まないってのが
身をもってひしひしびしびし感じ取っている昨今です。
勝手なイメージですが、肉を普段から食ってたり扱ってる人間は
気性が荒かったり、言葉が汚かったり、冷たい人が多い気がする。
気のせいかもしれないけどね。あくまで周囲の統計上ですよ(;´ω`)
暴言や嫌味、一言多く被せたい気持ちは汲みますが
先述した通り、否定的…何かを裁く事は建設的じゃあないなと
そう思うわけです。
人(動物もかもしれない)は自分の価値観に意見を出されると
抵抗しがちですよね。思わず言い返したり、言わずともイラっと来やすいです。
ところで言葉と思いというものは、決定的な力の差があります。
ゆえに、カッとなって何かしちゃった人が
普段穏やかな人でもおこりんぼでも
その人を知る人が「ホントは良い人なんだよ」と行った所で
その人はそれでしかない。そう思います。
「ホント」に良い人ならカッとなって、は無いと思います。
手違いやふとした事が発端で揉め事になった際
相手の激昂ぶりもはんぱなかったものですが
自分ダメなやつだなと反省しました。
相手もどちらかというと大人しい人でしたが
怒らせちゃったな、嫌な所見ちゃったな…これは全部元はといえば
自分に原因(口にした)があるので、まだまだ未熟だなと思った次第です。
自分の関わりが誰かの性格を悪くさせたり
その片鱗を覗かせるきっかけにはしたくない。
また繰り返しちゃうようですが、何かを裁くことは建設的な次に繋がりません。
自分は迷惑を極力かけずに行きたいですが、誰かが何か迷惑的な事をしても
行動、言動も気持ちも穏やかになりたいものです。
だってみんな完璧じゃないでしょ(;^_^A
って長々書いてしまった。
ほんでは2曲終えた所で、もうひとつの仕上げに入ります!
今日暇になったから(;´▽`A``