小さい頃、ザリガニを取ってきて翌朝バケツを覗いたら
共食いしていたのを見て初めて共食いというものを目の当たりにした。
その時、同じ生き物なのにどうして仲良く出来ないのかなって疑問だけがあった。
もちろんその逆もあって生き絶えるまで一度もケンカしなかったという事もある。
それを性格だ本能だと言い、納得しないわけでもない。
相性という言い方もある。
何故共食いをするのかは、単純に自分が生き残る為であるし
生き残った強い方のがその子孫も強靭に育つ。生き物ってうまく出来てる。
弱いものは絶えて当たり前だ、というのがよく解る。
ところで相性は大事だ。
弾きにくいギターよりフィットするギターのほうが良いプレーができる。
話のあう人との方が楽しく会話が弾むし付き合いも長くなる。
相性があわずとも表面的に付き合うならば、お互い深くまで関わらないし
何らかの主張で対立してケンカをする事もない。一見理想的な「仲」かもしれない。
けど距離が保たれてちょっと寂しいかもね。最もそれで成り立つ世界がある。
生きる事は共存というより競争といった方がしっくり来る。
皆我先と周りを蹴落として進みたがるのだ。
もっというと如何に利用してやろうかと企んでいる。
お互いが損しないように交渉をもちかける。
運が良いのか悪いのか、ある大きいプロジェクトにまたがり「利用しちゃう奴」を見た。
いや生きてればそんな人とはいくらでも会うかな(笑)
周りから見たらなんて身勝手なやつだ、としか映らないかもしれない
が、それは生き物としての本能がそうさせるのかもしれない。
人は狡いからそういう人を見るとここぞとばかり叩くんだよね。
そのくせ自分がそういう立場になるとそんな気持ちはどこへやらなんです。
それもまた本能かもしれません。
自分はその人を所謂人徳は別問題にして間違っているとは思わない。
養ったり共存しようとする存在は倫理的に当たり前かもしれないが
もしかしてとても貴重な存在かもしれないね。
最も無償のそれに出会った事は今の今まで一握りしかいない。
正確に言うといないかもしれない。
仲睦まじいと評判のふたりでも衝動的に命を奪う事がある。
動物でも「普段あんなに仲良さそうだったのに…」と聞きますね。
手をかけた側の理想に、その相手は相応しくなかったのかもしれない。
たくさんを差別せず輪に迎え入れる社会もあれば
他を廃絶し血族を繁栄させようとする社会もあり
または運命の人とだけの社会があれば、という場合もあると思う。
曲を作る事は楽しみでもあり内容はさておき与えるスタンスで
ギターを教える事は、弾く楽しさを与えるスタンスで
あざとい思考は微塵もない。
ひとつ大袈裟に言うと自分が音楽でやろうとしてる事を全部遂行してくれる人がいるならば
今指を失っても良いとさえ思っている。(うわ、大袈裟だなあ…)
生き物の根底にある「あわよくば奪ってやろう」という本能に罪の意識を感じる。
あ、こういう雰囲気で書いてたらあかんかなあ(笑)
自分はいよいよ生き物的に間違っている気がしてきた。
ま。。そんな感じです。