親に「いつの時代も今時の若いもんは~・・・だったんだよ。」といわれた事がある。
少しだけ先に生きている人は、ちょっと後から生まれた人は先の時代を肌で感じていないもので
少しずつ利便性を増していく日常を当たり前と思い、甘えている。
と、いつの時代も思ってきたのかもしれない。と先に生きている人の先に生きている人も
思ってきたのかもしれない。以下、続く。
年上の知人にPCに詳しい人がいて、聞いてみたら今でこそ数百GBが普通?のパソコンも
当時は数メガ程度とそれはもう…だったらしい。
カセット式で立ち上げ読む込ませるまで時間がかかり、立ち上げに失敗する事もままあったそうだ。
便利になったね。と言ってました。
僕が知人に感心したのは、それしか言わなかった事だ。
話はいきなり大きくなるのだけど、歴史や出来事を後世に伝える事は
これからを過ごす上で有益な方法だと思う。
ただ、今を嘆く必要がどこにもないのにいちいち嘆いているのはどういう事だろう。
レベルを掘り下げた話、隣人に醤油借りに行く事がなくなったのなら
そういう関係を作ればいいだけの話です。
ギターという楽器も目覚しい発展を遂げてきました。
ギターは音の小さい楽器だったので(生音は今でも小さいかも)、いかに大きい音を出すか
それが問題でした(懸念してた逸話のひとつにアランフェス協奏曲があります)。
リズム楽器なのにリズムが聞こえないのは問題だと編み出した…かもしれない四つ切り。
さまざまな弾き方や仕組みの工夫が施され今があります。
先人に感謝と敬う気持ちをもち、先人も先人へその気持ちを忘れないように。