そう思う時がある。
誰しも生きてれば嘘を吐いてきたと思う。よかれと思い、隠したいから、都合がいいから。例えば接客で愛想笑いをするのは何故かを考えれば容易に理解できる事と思う。
実際すべて正直に吐露していけば、いとも簡単に人間関係は崩れていく。意見をぶつけ合うディベートでお互いがにこにこしながらなんてのは見た事がない。万が一そういう事があったとしたら疑ってみるといい。必ずどこかに裏がある。
嘘は常に蔓延しており既に常識でさえあると言える。最近まで「いかに騙されないようにしていくか」を考えていたが、それはもしかしたらナンセンスかもしれない。騙されないようにしていく事自体が間違っているわけではないけど、これは受身として考えるスタンスだ。騙されないようにする姿勢があるのは、騙そうとする相手がいるから。
誰かが得をすれば誰かが損をする。各々がそれに気づくか気づかないかで感じる幸福度は違うのではないだろうか。不幸のままで居たいと思う人はよほど屈折していない限りいないだろう。
何が何でもノルマをこなさなければ叱られる店があったとしよう。客も商品には魅力を感じているが、通常の条件ではいまいち踏ん切りがつかず、達成は困難を極める。そこである程度の値引きをしてみる。お互いにとって都合がいい。客は快くそれらをひとつどころか二つ三つと買っていく。ある種の話術も必要だが、これでノルマも達成し、客も満足。ぱっと見、騙されたのはノルマをこなせと命令した人間、マネージャである。売上数と見合わないのである。しかしもし何か言われたとしても「何が何でもといわれたので」で通る。実際売上は考えられていた枠をクリアした。そして上には「達成」という報告が出来、一応ハクがつく。
ところが実は客もなかなか利口なもので。元々買うつもりだが値引きを待っていたのだ。時間や残りの量を見ての計算だろう。さも「家計がねぇ。。」と言う。「じゃあお客さんだけににれだけ引いちゃいますから二個以上買ってもらえます?ほかの人には内緒ですよ」と促すと喜んで2つ3つと取っていく。売り手はこれを繰り返し達成。
という話があります。
と長々書いてしまいましたが・・・
今、自分はとっても自由で、この状態になってからしばらく何から手をつけていいのかわからない状況にあった。しかし欲求はあった。遠い所に行きたいとか好きなギターを弾きたいとか髪型を変えてみるとか変えられるものは変えてみるとか。。できる時間があるからひとつひとつこなしていっている。単純に楽しい。沖縄も存分に感じられたし、6月の関東で感じられないこの暑さ!ムシっとした湿度!!海!!絶景!!食いモノ!!うおーーー!!!・・・と。ワガママ三昧です。先に暴走・・・までいかなくても。ワガママできるのは人生の醍醐味かもしれない。やりたい事ってやりたくてもなかなかできないし、でも理想で終わらせたくないよね。ワタクシは死ぬまで知らなくてもいいこと、知らないほうがいいことは知らないままワガママに生きていくことを願う。
ちなみにノルマの話は何を隠そう実体験です。。。