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去る4月27日、午前3時35分。
オヤジが息を引き取りました。

5年間の寝たきり状態は、
さぞかし辛かっただろうと思う。


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ちょうど5年前の今頃、
脳梗塞の検査入院に始まり、
緊急手術、異変、寝たきり。
その後5年間に渡り、
それまでの生活を奪われ、
人間としてのコミュニケーションも奪われたオヤジ。

最後の約2ヶ月は飲み食いしたものが
肺に流れるので点滴のみで過ごした。
点滴の針を刺すところさえなくて、
首に刺していた。

点滴にせず、鼻から管を通したり、
胃に直接管を通すことも選択肢にあった。
だけど僕たち家族は、余命が短くなる点滴を選んだ。

もう手術はしたくなかった。

肺の調子も良くなく、
息苦しそうな時は酸素の吸入もしていた。

あるとき施設からお呼びがかかり、
話を聞きに行くと、
これからはオヤジの終焉に向けての
『ターミナルケア』というのを施していくということだった。
それはとにかく苦しまず、いつも清潔に出来るだけ快適に過ごさせてあげるという処置である。

それからはいつなん時、急変してもおかしくないので、
それなりの覚悟はしておくようにとも促された。

体重も30キロ台でガリガリだった。
当然ながらとても健康体とは言えない状態で、
特に腎(じん)臓の働きが弱って、排尿が100mlたらずとなり、
いよいよ近いうちに息を引き取るだろうというところまできていた。

それからは不謹慎ながら葬儀のことやお坊さんのことなどで
色々と話し合ったり、手配も進めていました。
これは仕方のないことで避けて通ることは出来なかった。
内心、とても辛いことであったのは紛れもないことです。

『その時』 は、僕たちの予想より早くやってきた。

夜中の3時半に施設からの電話。
発信元がわかった段階で、
何が起こったのか充分理解できた。

程なくして家族が施設に集合するが、
オヤジはもう息をしていなくて、
家族を待っての死亡宣告をするだけの空間だった。

オヤジの5年ぶりの帰宅である。
出来ることなら生きているうちに連れて帰ってやりたかったが、
ずっと状態が良くなく、それも叶わなかった。

親族の中には、『あれは医療ミスじゃないのか?』 という人もいた。
確かにその可能性もあったが、
それを争ってもオヤジが良くなるわけではない。
大病院を相手に訴訟を起こすのも並大抵の苦難ではないはずだ。

オヤジは絶対、こんな終わり方に満足しているはずはない。
検査入院して、緊急手術となって、終わってみれば寝たきり。
悔しかったに違いない。 むしろこの世に未練たらたらだろう。

でもなオヤジ、
オヤジの死んだ日は、
おばあちゃんの命日だったんだよ。

オヤジのお母さんが迎えに来たんだよ。
もう充分頑張ったからこっちにおいでって。

僕が東京からこっちに帰ってきて
一番喜んでくれたのはオヤジだったね。
住むところから車まで段取りしてくれてさ。

僕が生まれてから今までたくさん、たくさん、たくさん迷惑かけてきたけど、
本当にごめん。
そしてありがとうね。

喪主のあいさつなんてしたくはなかったけど、
『ありがとう』の一言しか言えないよ。

悔しいだろうけど、安らかに眠ってくれよな。
そしてこれからは天国から僕たちを見守っていてください。

         長男     淳一