孔子は五十歳を「知天命(ちてんめい)」と呼びました。
現代のように寿命が延びた時代なら、おそらく六十歳ほどにあたるでしょう。
知天命とは、文字どおり 「天の意志を知る」 という意味です。
三国志の諸葛亮もまた、同じ境地に立っていました。
どれほど精妙な策を考え出したとしても、
天命に背けば、すべては水泡に帰す。
彼はそのことを若い頃から深く理解していました。
では、彼の計略と知恵はどこから生まれたのでしょうか。
■ 諸葛亮の知恵は「努力」と「天意」を見極める心から生まれた
諸葛亮は、易学・兵法・地理・天文に精通していました。
それだけでなく、生涯を通じて学び続け、
自らの才能をひたすら磨き上げた人物でした。
彼は人間社会のあらゆる知識を統合し、
もっとも現実的で実践的な戦略を導き出すことができました。
しかし、その判断の中心には、
いつも一つの問いがありました。
「いま自分が選ぼうとしている道は、果たして天意にかなうのか」
諸葛亮は、
天命に逆らう計画はどれほど立派に見えても無意味である
ということを知っていたのです。
劉備が彼の制止を聞かず、
関羽の仇討ちに向かった末に客死したのも、
その象徴的な出来事です。
天の心で王となった者が、私心で動けば、
その瞬間に天は彼を見放す。
企業の盛衰も、海外市場での成功と失敗も、
本質はこの理に通じています。
天の扉は、
最善を尽くした者にだけ、少しずつ開かれていく のです。
■ 諸葛亮が天才と呼ばれる理由は「天命を知った」から
私たちはしばしば諸葛亮を「天才」と呼びますが、
彼が偉大だったのは、
生まれつきの才能だけではありません。
夜を徹して書物を読み、
兵法を比べ、
地形や天候、人心を読み解きながら、
作戦を練っていたのです。
それほど学び、努力した彼でさえ、
赤壁の戦いを前にしては
壇に上がり、髪をほどき、香を焚き、
天に祈りを捧げました。
それは、
勝敗はすでに人の手を離れ、
最後は天に委ねられるものだ
と知っていたからです。
諸葛亮は三十代にしてすでに「知天命」の境地に達していました。
彼が真の天才と呼ばれる所以も、
まさに 天命を理解し、それに従った心 にあったのです。

