全肯定カウンセリング 2回目  | ★ ケ・セラ・セラなおんちゃんの日常 ★

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時々たれちゃん、たまにはダンナ・・・

こんな楽しいトマムな日その1その2その3おまけ だったのに
私はほんの一瞬で奈落の底へ突き落とされた気分になった。

それは心配して電話を掛けてきた母親にこのときのことを話したとき。
「へぇ、それならあんた馬やめなきゃね」

たったこの一言言われただけ。

私は趣味で時々馬に乗ってるんだけど、本格的に不妊治療するならやめなさいとのこと。

そんなのわかっとるわい!!!

カチーン!!!ときた私は
「いい歳こいた娘がなにやろうと勝手でしょ!それは私が決めること!
あんたにいちいち言われる筋あいない!
こうやっていちいちあれやれ、これやれ、あれやるなって言われるからイヤなんだって!
だからそれで鬱になったって言ってるのに!
もうやめてって言ってるしょ!わかった!?」
と一気にまくし立てた。

母親「はい、すみません」
そのあとも別の話でまたカチンとくることがあったんだけど。
今の母親ならかなり文句を言える。

私のことを心配して言った言葉なんだとも理解はできるが、感情がまったくついていかない。
私の中で「心配」という文字が「大きなお世話」「うざい」と変換される


そしてその後残るのよ。頭の中に。


「~をしなさい」「~をするんじゃない」って言われる度に
私の脳内で

「私の考えや行動が間違っているから、信用されてないからこうやって言われる」
     
「私ってダメな人」

って変換されていると気がつく。
そしてこの思いが反芻して、どんどん具合が悪くなるがっくしがっくしがっくし


これを言われたら強く思い出すのは
何をしてもしなくてもダメだって言われて、そこにいることすら許してもらえなかった
パワハラされていたときのこと。

でもこの真犯人はやっぱり昔の母親だから、そっちを癒してあげなきゃね。


ってなわけで、長い前置きでしたが
この気持ちがぐいぐい溜まってきたので
またほのかさんにカウンセリングしてもらったの。

小さいころの記憶を思い出そうと思っても、なかなか思い出せなくて。
中学生のころ、実家の商売が大変で両親のケンカが絶えなかったときのことがでた。
もう自分ではとっくに乗り越えているつもりだったし
看護師になろうと決めたのも実はこのときで
それがあったから、今がある。くらいに自分では思っていたんだけど。

いつもヒステリーで怒ってばかりの母親にも
何を考えているのか何も言わない父親にも
怒りとか悲しみとか、こんなに頑張っているのに!
みたいないろいろな複雑な感情が混ざっていていて。

私はなんとか両親を助けたくて、なんとかしようと思っていて
お小遣いなんてもちろんもらえなくて、新聞配達してそのお金も家計に消えて
ケンカする両親を見たくなくて、怖いから反抗することなんてできなくて
いい子でいるしかなくて、家に帰りたくなくて、こっそり塾をサボるのが精一杯で。

ある日気がついたら頭に大きなハゲが出来てた。
1つじゃない。どんどん増えてきて8つくらいあったと思う。
いくら髪を長くしても結んでも隠しきれなくなっていた。

でも学校が楽しくて、みんなといるのが楽しくていつも残って遊んでいた。
生徒会とか学校祭の準備とかで学校に残るのがすごく楽しかった。
給食のパンの余ったやつをもらって、冬にはストーブの上で焼いて食べたりした。
田舎の小さな学校だったから、先輩も後輩もけっこう仲がよかった。

そんな話をカウンセリングでしながら、そのころの私とイメージで一緒に遊ぶ。

「私はここにいるよ」「私の話を聞いてよ」「ケンカばっかりしないでよ」

そんな思いがあったはずなのに、ガマンするしかなかった。
言おうという気持ちすら、思い浮かばなかった。

たぶんもっと小さいときに私は自分の気持ち、感情を閉じ込めることに決めていたから。



いつ決めたのかは自分でもわかりましぇん。 てへぺろ

近々その奥にあることを、ほのかさんにまたカウンセリングしてもらう予定です。

今、流れが来ているほのかさん
100件まで無料だけど、もうすぐかもね