分かりきっていることなのだ。
自分が世間知らずだっただけなのだ。
本来、地球上には善と悪はない。
それは人間世界において作り出された概念にすぎない。
観念論の話だ。善と言う物質があるわけでもなく、悪という物質があるわけでもない。
極めて主観的な、物や事象への評価にすぎない。
主観的だから、絶対がないから、答えがない。
古代ギリシャの頃から、そういう事を考えている人はいた。
人間社会では、善と悪について考えざるをえなくなった。
自然界においては、そんなことを考える生命はいない。
人間は、人と人が争うことについて考えた。
争うの何故か。争うとはどういうことか。
あるいは、人間はどうして死なないといけないのか。
割と真面目に考えた。
そして、善と悪という概念を作り出した。
そして、宗教が始まった。(ただし、土着的・原始宗教はここでは置いておく)
人間より先に宗教があったのではない。
人間社会があって、後から宗教という物語が必要になった。
人間は、善と悪という概念を分かりやすくするため、神と悪魔というものを作って説明した。
神は善を担い、悪は悪魔が担った。
物語(宗教)に説得力をもたせるために、この世に悪があるのは、
悪魔がいるからだと論理をひっくり返して説明することにした。
だから悪魔だと認定された存在は、悪なのだ。
厄介なのは、作り出された物語(宗教)は、地球上で一つではなかったことだ。
だから、ある一つの宗教における神は、他の宗教においては悪魔とされた。
例えば、キリスト教の世界では、ヒンズー教の神様は悪魔ってことになっちゃうってことだ。
人間のもつ生存本能、生存競争という本質は、神様の世界にも自ずと反映されちゃった。
人間が自給自足してただ生きるだけなら、善も悪も必要なかった(原始時代とか、縄文時代とか)
でも、人間が自給自足の時代を終えて、技術が革新され、生産して余ったもので商売をするようになった。(そういや、ムハンマドは商人だったよな)
お金(貨幣)が誕生した。
商売とは競争だから、勝ち負けが生じる。
富を多く持つ者が勝ち、持たないものは負ける。
勝って富を多く得たものはもっと勝つし、負けたらもっと負ける。
お金(貨幣)は、善と悪(宗教)よりも力を持つようになった。
物語(宗教)は、お金より低いところに位置づけられた。
でも物語(宗教)とは、善と悪ってことを考えるから、貧しい人や苦しんでいる人を救う役目を
担い続けることになる。
産業革命が起こって、近代国家が誕生した。
富を多く得た(搾取した)国はどんどん大きくなって、
得られなかった(搾取された)国は、力をもてなかった。
お金(貨幣)すげーってなった近代国家は、お金(貨幣)=経済を自分達で統制するシステムを構築した。
大国はどんどん豊かになるために、自分たちの都合のいいようにシステムをどんどん作った。
小国は、お金(貨幣)の恩恵を受けていないから、まだお金より物語(宗教)を信じていた。
いつの間にか正義は勝つって言葉が生まれた。
それは近代国家で生まれた。自分達の正当性の根拠にするために。
善と悪(物語、宗教、倫理)は、政治にも囲い込まれ、更に低い位置に追いやられた。
勝ったからナンとでも言える。勝ったけど自分は悪でしたっていう人はいない。
正義だから勝ったのか? 勝ったから正義なのか?
だから悪魔だと認定された存在(負けた方)は、悪になった。