「あまちゃん」である。
毎日ずっと見ている。
今更ながら気づいた、いや気づかされたびっくり事実がある。
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このまとめを読んで「あっ」となったわけだ。
今まで特に気にしていなかったこと。
それは、ドラマの「語り」(ナレーション)の件だ。
第1回からは「夏ばっぱ」役の宮本信子がずっと語りを担当してきた。
ドラマの本編で訛っている夏ばっぱが、語りでは標準語だということだ。
それだけならそんな不思議でもないかもしれない。
よくあることかもしれない。
でも、ちょっと気になることがある。
あきが上京した東京編以降、「語り」が交代した。
「語り」は、あきがやっている。
当初びっくりした。「語り」が途中交代した朝ドラって今まであったんだろうか。
あきの「語り」は、標準語のようでもあり、微妙に訛ってたり方言まじりだったりする。
夏ばっぱの「語り」もそうだったけど、ただのナレーションでなく、モノローグであったり、
ツッコミであったりと、わりかし何でもありの「語り」だ。
「語り」が変わることは、視点が変わるってことだ。
東京編になってからも北三陸の人々のシーンは出てくるが、
基本的にそのシーンに「語り」が被せられることはない。
現在「語り」を担当しているあきは、そこにいないからだ。
結構大きい変化だ。
今まで視聴者は、夏ばっぱを通してドラマを、あきの頑張りを見ていた。
でも今は違う。あきの視点からドラマを見ていることになる。
東京編になったけど、意外と北三陸のシーンも結構出てくる。
夏ばっぱもそこにいる。でも夏ばっぱはもう語らない。
一登場人物としてそこにいる。
あきの「語り」は、モノローグ寄りだったりもする。
東京編以降、なんとなくドラマの質が変わった。
緊張感の質が変わったというか。
北三陸編は、夏ばっぱの母なる視点から語られていたので、どこか安心感があった。
でも東京編は、よりダイレクトに視聴者に迫ってくる。
不安感が増していく。
その代わりに、東京編に入ってからは、あきはめちゃくちゃ強い。
泣き言を言わない。
代わりに、かつてあきの周りにいた人々だけがどんどん弱くなっている。
唯ちゃんしかり、種市先輩しかり。
面白いのは、あきは東京出身で東京が嫌だったけど、東北行って強くなって、東京に凱旋しても闘っていける。
対して、唯は地方出身で田舎が嫌で、東京というブランド(幻想)に心酔していたけど、闘えなかった。
あきは、単なる「都会対田舎」を超えた強さを獲得した。
これからもっと大変なことがあきに襲い掛かる。
夏ばっぱは強かった。
きっと最後にあきは、夏ばっぱになる。
そのくらい強くなる。きっと。
最後にも一つ気になるのは、このままあきがラストまで「語り」を務めるのかってことだ。
「語り」の交代と、それに伴う視点の変化。
それが何を意味するかは、ラストまで見ないとまだわからない。
特に意味は無いかもしれない。
でも、この「あまちゃん」には、そんじょそこらのドラマが束になっても敵わないほど
細かい部分から大きな部分までとんでもない技巧がめぐらされている。
すげーぜ。
毎日、少年ジャンプ並みの引っ張りで終わるし。
細かい伏線だらけだし。
東京でも神話は可能なのか?
あきは、前田敦子を超える?
来週は、知られざる春子の東京神話が掘り起こされるのだ。