「受け取って」「考えて」「模倣して」「発信する」
岡田斗司夫さんの話より。ひとの意味。
・ひととは、肉体の上に置かれる「ヒト意識ウィルス」である。
・精神は肉体より尊いという。
当たり前のようだが、肉体とは「自動車」のようなもので、
ポンコツになってしまっては運転するのも大変になってしまう。
だからやっぱり、「健康」で「元気」でいることは大切なことなんだ。
・言葉や考えは、一時的にそこにとどまっていることしかできず、絶えず変化している。
5年後の自分はきっと違う考えを持っている。
・一番納得・感動した話は、家の前の玄関を箒で掃除するおばあさんの話。
一人暮らしで、身寄りがなくとも、毎朝必ず掃き掃除をするおばあさんを、人が見ている。
見ていなくてもいいが。その行動自体が「発信」であって、誰かがそれを「受け取って」
「考えて」「模倣」しそれがまた「発信」になる。
何の意味のないように思えて、おばあさんはしっかりと発信しているのだ。
今の時期、北国ならそれは雪かきとかも同じかな。
最後にもう一つずしんときたのは、大量に情報を入れたらアウトプット、発信したほうがいいということ。
そうしないと心(頭)のバランスがおかしくなっちゃう。
それはブログを書くことでもいい。誰かと話してもいい。行動にしてもいい。表現でもいい。
とにかく、大量の、または多様な情報にさらされるとどこかで出力(発信)しようということ。
そりゃ、引きこもってネットや映画やテレビ見てるだけじゃ動けなくなるよね。
・引きこもりは、何も日本だとか豊かになった国だけの問題じゃないという。
スリランカの貧しい農村の話。そこでも引きこもりはあるのだという。
家に閉じこもっている少年。夫を亡くし何日も数ヶ月も家に閉じこもっている女性。
ただ、その農村では、引きこもりは、「悪魔」が憑いているのだと考えられており、「悪魔払い」が行われるのだという。
その「悪魔払い」とは、三日三晩、その人の家の周りで踊り明かすのだという。
そうすると三日目には、家の外に出てくるのだとか。
引きこもりというのを個人主義で捉えず、それは心の隙間に「悪魔」が入り込んだからなのだと考える。
原因だとか、責任だとか、言葉とかそんなことより踊り明かす。
なんかいいな。うっとうしいと感じてしまってはいけないけど。
