なんであなたが僕の質問にいらついてるのかわかった。

根本的に、考え方が違うねん。

あなたは、質問の裏に何か意図が隠れてると思うんやろ。

でも、僕はそういう考え方をしてへんねん。ここは全く全然違うねん。

僕は、何か意思決定をする必要があると、すぐには判断せえへんねん。
まず、判断をするにはどういう情報が必要かと考えんねん。そんで、その情報を集めようとすんねん。

今回のケースだと、まず僕が行きたいかどうかよりも、そもそもいったほうがいいなら、僕の判断はいらないやん。だから、情報としてそれを聞いてん。

とにかく、この違いはあなた、絶対に認識しておいた方がいいと思う。僕は全ての意思決定で、こうするように自動的になってるから。


・・・・私のレス・・・

> 僕は、何か意思決定をする必要があると、すぐには判断せえへんねん。
> まず、判断をするにはどういう情報が必要かと考えんねん。そんで、その情報を集めようとすんねん。
>
> 今回のケースだと、まず僕が行きたいかどうかよりも、そもそもいったほうがいいなら、僕の判断はいらないやん。だから、情報としてそれを聞いてん。

FOR WHAT!?
まだよく理解できないや。
意思決定を先延ばしにする理由はなに?
どんな判断をする場合にもそうなの??????????
大事な判断だったらまだしも、
いつもなの!?!?!?!?!
げぼって思うけど、慣れるしか無いんやね。
まだよくつかめてないけど、あなたの思考回路に必要なことなら協力するわ。

あなたは直感で決めへんの?
そっちも磨いたらもっと人生楽しくなっていくかもしれないよ。
「今日のごはん何にする?」
「今日お蕎麦食べる?」
「この服どう?」
って聞かれても、答える前に問い返されるの???

道理でうちら、決められへんねんなぁ。
いろいろ考えたことあるけど、時間もったいないからさらばーーー。

また何か気づいたら教えて。

・・・夫のレス・・・・
仕事で毎日何十個も意思決定するやろ。役所はその判断がめちゃくちゃ数が多いねん。
部下が持ってきた内容を、僕は意思決定すんねん。

その時に、全部ロジカルに、こういう情報があるから、こうしましたって説明できないといけないの。マネージャーっていうのは、正しい質問ができるかどうかが命なの。

その癖だと思う。単純に。
平日はずっとそれでやってるわけだから。

・・・・

感想
怖いや。深入りしないでおこうっと。
精神不安定にならないようにするのが私の最優先事項にしようっと。
嫌なメールは無視する。スルーする。
自分の心の平穏を保つために必要なら仕方ない。
溝は埋まるわけがない。
溝がこれ以上深まらないように努力するのみ。
DV関係の本を読んでいると、女性は何も悪くないという書かれ方がされていることが多い。
確かに暴力を受ける理由は何もないという点で悪くない。
しかし、なぜそのような男性にひっかかってしまったのか。女性の側に何の問題も見いだせないと書かれているものを読んだことがあるが、この本はもう少し掘り下げているように思えた。

140 幸運に恵まれた娘たちは生まれたときから、成熟し愛情深い両親によって大切に慈しまれる。この最初の関係は誰にとっても、あとあとまで大きく影響するものなのだ。そして、こうした幸運な娘たちはのちの人生でも、両親と同じように自分を高め育んでくれる人にひきつけられる。両親から豊かな愛情を受け手育った娘たちは、ごく自然に人を愛することができる。
しかし不運な娘たちは、さまざまな点で書けたところのある親によって育てられる。悲しいことに、そうした娘達も、自分と同じように貧しい環境で育てられた人に引きつけられる彼らが自分にとって見慣れた人であり、なつかしい我が家を連想させてくれるからだ。皮肉なことに、恵まれない子供時代を埋め合わせるためにたくさんの愛や慈しみを必要とする人ほど、そうしたものを与えることがとうていできない傷ついた人と関係を結ぼうとする。

147 「新婚の床に眠るのは二人ではない。新婚の夫婦の夫の両親と妻の両親の六人だ」という言葉がある。

私たちが似たような関係をくりかえすのは、それが自分にとって居心地よいからだし、慣れた状況を維持できるからだ。ある意味では、私達はみな同じ実験を熱心にくりかえす科学者といえるだろう。自分が真実だと思い込んでいることを証拠だててくれるものばかりを求めてしまう。たとえば母親にけなされて育った人は、自分を軽蔑する人にひかれていく。

子ども時代の関係をくりかえす、もうひとつの理由は、過去の失敗を訂正したい、もう一度チャンスを与えて欲しいと願ってしまうことにある。たとえば子ども時代に母親から顧みられなかった場合、大人になっても生涯母親の愛を求め続けたり、母親に代わる誰かから愛されることを貪欲に求めたり、あるいは母親に認められたいばかりに、仕事や学問に必死になって打ち込んだりする。この場合でも、うまく生きられなかった過去を生き直そうという、はっきりとした意識があるわけではない。むしろ自分でも気づかないうちに、そのようなくりかえしのなかに入り込んでしまう。

148 愛する能力のない人から、無理に愛を引き出そうとしてもムダなのだ。
「お腹を空かせた子犬が、おっぱいの出ない乳首にすいついても、空腹が満たされることはないのです」

子ども時代の不幸を埋め合わせたいと思うのは、何も自分のためばかりではない。もう一度愛されるチャンスがほしいように、母親にももう一度自分を愛し、よい母親になるチャンスを与えたいという思いがある。母親が弱い人だと、自分たちは母親やそれに代わる誰かに、もっと強くなってもらうよう懸命に尽くす。母親が厳しかったり、消極的だったり、病気だったりする場合にも、同じようにやさしく積極的で健康な人になるように力を尽くす。

大人になった子ども達が、親の欠けたところを補おうとする無意識な努力がある。

私たちは過去をやり直すことはできないし、両親を作り替えることもできないのだ。
・・
人間関係の基本に、母親との関係がある。
母親から傷を受けてきた場合、同じように傷つけてくれる相手に惹かれることになる。
それは、その人は母親と似ているために見慣れた人であり、懐かしい我が家を思い出させてくれるから。
そして、そんな「母親」から、本当の母親から貰いたかった愛を貰いたいと思うから。
また同時に、その人を通して、よい母親になるチャンスを「母親」に与えたいと思うからである。
しかし、愛する能力のない人から、無理に愛を引き出そうとしてもムダであり、
両親を作り替えることもできないのである。

だから、この本はいう。
「自分を苦しめている相手から遠ざかること」と。
151 自分をどこまでも苦しめる相手と関係を結んdメオ、エルものは何もないという事実を受け入れることだ。
自分をみじめにする相手に出会ったら、ひかれていくのではなく、むしろ遠ざからなければならないのだ。

ある仏教徒のクライアントは、仏教でいう「信」とは他人の善意をひたすら信じることではなく、この世をあるがままに正確に理解することだと教えてくれた。(略)世の中には悪意があったり、自分に害を及ぼしたり、こちらの気持ちに答えてくれない人がいて、そういう人とかかわりをもてば、みじめなことになるということも「信」じるべきではないだろうか?

・・
さすがアメリカの本。白黒がはっきりしている。
勉強すればするほど、主人とは別れるしかないという道しか見えてこない。

この本を読んで、確かに、自分の中には母と父からの傷があることは認める。
私の両親は本当に愛情が深く、子どもの事を第一に、家族を第一に考えてくれていた。
しかし、やっぱり、どこか、私自身のことよりも、世間体をきにするところがあった。
特に受験に関して。
私自身のやりたいことよりも、有名大学に行くことが絶対のように、すごいプレッシャーだった。
何をしてもまずは「ちがう!」と言われ、
お皿洗いをするのもびくびくだった
「お母さんの仕事とらんといて!」といつ怒られるかと。

私はそんな母に何も疑問ももっていなかったし、
本当に献身的に育ててくれた母が大好きだった。
しかし、前の彼氏は私は母から離れた方がいいとはっきりと教えてくれた。

けど、今の夫と色々あり、Bestではないけれども実家のお世話になっている今
また、娘を持ち、母となった今、本当にいろんな面が見えてくる。

母の怒りも怒りではなく、優しさであるということ。
母は母であり、母の感情に左右されなくてもいいということ。
母の機嫌ばかりとらなくても大丈夫ということ。

そして、これは娘が産まれる前のことだけれども、
母に一度胸の中の叫びをぶつけたことがある。
そのときに「ごめんね」との一言が、氷のようになってしまっていた私の心をすーっと溶かしてくれたのを思い出す。そして「お金がなかったから仕方がなかったのだと」も。
母は本当に私のことを思ってくれていることがわかる。
その方法がよくわからなかったということも。
けれども、母なりに精一杯やってくれたということも。
いろんなことが本当によくわかるようになった。
夫に対して、常に私の見方になってくれるようになってくれているのも
どれだけ心強いことか。

あと対処しなくてはいけないのは、
傷つき続けている私を救ってくれなかった父に対する感情が今も邪魔していることである。
今まで娘に対して注意すらしたことがなかったのに、
夫との色々と言うと、私にずっと困らされてきた父は、私に文句を言われる夫の気持ちがわかるからか、
夫と一緒になって、この前なんてはじめて「うるさい」と言われ、あまりのショックに
涙が止まらなくなってしまった。本当は、その時に、父に、夫を怒ってもらいたかった。
それなのに、その逆のことが行われ、とてもショックだった。

・・
とここまでが自分のこと
夫は娘ではないけれども、この現象に当てはめると、まさに、と思わされることが多い。
今日も、自分の母親にやられて嫌だったからやめて欲しいと母親との対比で語られた。
母親が働けなかったから、私は働くべきだとか、
母親はお金で困ったから、私はお金の主導権をもつべきだとか、

変なのと思っていたことがすとんと落ちた。
彼は、私を通して母親と結びたかった関係を築こうとしているのだと。
そして、私には彼の母親のように愛して欲しいんだと。
そして、母親が困っていたことに私が困らないようにすることで、母親を救いたいと思っていること。

そこには、「私」の姿はない。
私を通して「母親」を見ている。

ということははっきりと分かった。

ちょっと強くなれたかな。

どんな人でもいい人と信じるのではなく、
そういう人なんだと信じることもまた仏教の教えだ。

今日もはっきりと、嫌ですと言えた。
一歩前身。 だといいな。。。

イヴァリン・S。バソフ著、1996、『娘が母を拒むとき』