死んでも何も残さない―中原昌也自伝/中原 昌也

面白かったのと、読んでる人が少ないのか、レビューが低かったので書いておこう。
この著者の映画本は読んだが小説は読んだことはない。

満州から引揚げてきた父を持ち、育った環境や観た映画、影響を受けたテレビ番組、読んだ小説、
マンガなどを取り上げながら「暴力温泉芸者」という音楽活動から作家になり、現在までを語っている。

無頼派といわれる所以のひとつには、
「僕は戦前の親の子。同世代はどう頑張っても戦後の親の子。」「もしかすると、それがでかいのかもしれない。」
「戦前の子として、銃を撃ちまくる『ローハイド』から、全身に銃弾を受けて死ぬ『グラン・トリノ』へ向かってゆくイーストウッドの人生に父親がもし影響を受けているとすれば・・・。自分にとって本当にでかい話だ。」

「世界はどんどん多様性を失い、多くを感じない人のものになっている。人間が進むべき道はどんな些細なものからも多くの意味を受け取ることだろう。」

「わからないものはみんな偉そうで高尚なものだと思ったり、通向けのものだと思ったりする。この貧困さは何だろう。みんな、精神が貧しくなっている。本当の意味で孤独になり、この世界が何のために存在するのか、という根源的な所まで決して行かない。わからないものは全てないものにする状況は何なのか。だから、自分の知らないことはみんな悪口を言う、僻み根性の人間ばかりもてはやされる。今後はどうなるだろう。どうせ、マンガやアニメばかり語られる悪い方向にしか行かない。八十年代の妙な豊かさは何だったのだろう。」

「ノイズというジャンルには、曲に物語や感情を盛り込む必要がないと言う前衛特有の気楽さがある。思い入れたっぷりの演奏など格好悪い。音楽的情緒をもたらすものを絶対入れない、人間性のない作品に憧れていた。」

「あの頃はまだ、世界は自分の知らないものや、意味の分からないもので一杯という認識が基本にあった。でも、今は、よくわからないうちに、自分の知っている範囲だけしか興味がなく、意味の分からないようなものは、すべてくずで、あってはならないという世の中。」

「自分のアクションに対して、出ている音が全く関係がないとしか思えないという状況が面白いのだだ。」
「もはや僕でも世界のバカバカしさには追いつけない。」

「最近、やっと思い出した。電車の切符切る人が昔はいたということを。機械がやればいい仕事という話だけれど、本当にそうなのだろうか。」


オカルト、ホラー、アート、海外小説、オナニー、いじめ等過剰なものに多大な影響を受けてきて、音楽的には情緒的過剰を排除してやってきたけれど、今や世の中自体が過剰なものをなくして、あるもの、わかりやすいものだけで埋めようとしている
ファン、信者やアンチという2元論だけでなくて、それ以外の選択肢や、それがない状況・システムがあるのが普通じゃないか。


真意を汲み取れているかわからないが、乱暴にまとめるとこんな感じか。


親との軋轢、衝撃的な過去、当時の裏話などがたくさん出てきて(全然わからないことも多いが)、意外に気軽に読める。