(別に3部作なわけではないが、読んだ流れが神すぎたので)
アトランティック・レコード物語/ドロシー ウェイド

2006年に亡くなったアーメット・アーティガンが創設したアトランティックレコードについて書かれた本。
1923年、トルコ共和国成立の年に生まれたアーメットは、11歳の時、トルコ外交官の父の新たな任地アメリカ・ワシントンにやってくる。そこは彼の大好きなジャズ発祥の国だった。
そして、トルコ大使館で働く黒人雑役夫クレオ・ペインにボクシング、ビール酒場、ソウル・フードについて教わり、ブラック・ミュージックに夢中になり、ハーレムを訪れることが夢だった。
願いは叶ったが、そこは外交官の息子(14歳!)。厳重な警備付きで連れ戻され、しばらく出入り禁止になる。
そして、黒人差別の法律が存在した当時、
「私たちには黒人の友人がたくさんいました。なのに、彼らと一緒にレストランで食事をすることも、映画を観に行くことも、劇場に入ることもできないのです。彼らと並んで外を歩くことすら許されませんでした。」
(アーメットの兄にして、共同経営者のネスヒ・アーティガン)
1944年、父の死後もアメリカにとどまることにしたアーメットは、レコード会社設立を決意する。
「レコード産業は急成長をとげようとしていた。(中略)それまでの空白を埋めるかのようにレコードの需要が急増し、音楽に関する知識など皆無に近い事業家たちが、こぞって新しいレコード会社を設立した。『そういう人々と会っているうちに、彼らが音楽のことを何も知らないことに気づいたんだ。』」
それから、ハーレムや各地でアーティスト(の卵)を探し、レコーディングの日々。
「アトランティックで作られるレコードの大部分は、典型的な『ブルース』ではなく、・・・『シティブルースとサザンブルース』の混ざり合ったものだった。彼ら(ビッグバンドに所属する洗練されたジャズミュージシャン)は伝統的なサザン・ブルースを「くだらないもの」と決めつけ、できればそんな音楽は演奏したくないと考えていた。しかし、その「くだらない」サウンドこそ、アーティガンが求めていたものだった。そうした音楽の方が商売になったからだ。・・・上品で洗練された彼らの演奏に、わずかでもいいからベーシックで粗削りなブルースの趣を加えてくれるよう頼んだ。」
徐々に台頭しだしたアトランティックだが、共同経営者の一人が陸軍に招集されてしまう。
そこで彼が招いたのは、「ビルボード」の記者であり、「『レイス・レコード』(人種音楽?)という侮蔑的な表現に代わって『リズム&ブルース』という言葉を生み出した」ジェリー・ウェクスラーだった。
この二人がアトランティックを発展させてゆくが・・・。
この本のすごい所。
1.関係者へのインタビューや内幕話。
アトランティックのプロデューサー&レコーディング・エンジニアであったトム・ダウド、最初の専属ライターだったドク・ポーマスを始め、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラー、フィル・スペクター、チェスレコードのレナード・チェス、サイアー(Sire)・レコードでラモーンズやトーキング・ヘッズらと契約し、マドンナと契約したシーモア・スタイン、エレクトラ(Elektra)・レコードのボブ・クラスノウ、スタックス・レコード(メンフィス・サウンド)のブッカーT&ザ・MGs、フェイム・スタジオのリック・ホール(マッスル・ショールズ・サウンド)、ラジオDJのアラン・フリード、ワーナーのスティーブ・ロス、そしてデヴィッド・ゲフィン。
1975年、ジェリー・ウェクスラーはアトランティックを退社し、現代の音楽業界の発展に絶大な影響を及ぼした、アーティガンとの22年間にわたる協力関係に終止符を打った。
「アトランティックは、ブラック・ミュージックのおかげでビッグになったわけじゃない。確かにブラック・ミュージックのおかげで成長し、安定を得たかもしれないが、それでビッグになったわけじゃないんだ。アトランティックがビッグになれたのは、ロックのおかげだった。ロックン・ロールじゃなくてロックだよ。」(ウェクスラー)
2.業界の成り立ち。
章タイトルが「チンピラとペテン師」「酒・賄賂・女」「マイアミで傷害事件、メンフィスで殺人」
「おかしな名前の連中」(通名というやつ。その筋の)から分かるように、著作権・出版・セール盤etcと暗黒街の関係。
「ブラック・ミュージックの周辺にはスキャンダラスな空気がたちこめ、それを嫌った大手レコード会社は、アトランティックも含めてますます、比較的「安全な」白人ポップスやロック・ミュージックに重点を置くようになった。」
3.本来主役のアーティスト達。
レイ・チャールズ、ソニー&シェール、ベン・E・キング、アレサ・フランクリン、ウィルソン・ピケット、パーシー・スレッジ、オーティス・レディング、リトル・リチャード、マディ・ウォーターズ、ソロモン・バーク、アル・グリーン、ルース・ブラウン、アイザック・ヘイズ、ジャクスン・ファイブ、エリック・クラプトン、レッド・ツェッペリン、バッファロー・スプリングフィールド、ローリング・ストーンズ、ビージーズ、イエス、フォリナー、ジェネシス、シュガー・ヒル、などなど話の中で出て来るが、あくまで商品というか濃い話の引き立て役とでもいうか。
「40年に及ぶアトランティックの歴史の中で、様々なスタイルの音楽が現れたては消え、多くのレコード会社が栄えては滅び、パートナーが次々と台頭しては姿を消した。・・・アトランティックの創立40周年を祝って、あらゆる勢力が集結した。ジャズ、R&B、ソウル、ロック。音楽のヴァラエティーは目もくらむばかりだった。しかし、それらすべてを結びつけていたのはアーティガンだった。(中略)
そのコンサートが実現したこと自体、ちょっとした奇跡だった。しかしそれもまた、アーティガンの見事な外交的手腕のおかげだった。」
アトランティック・レコード物語/ドロシー ウェイド

2006年に亡くなったアーメット・アーティガンが創設したアトランティックレコードについて書かれた本。
1923年、トルコ共和国成立の年に生まれたアーメットは、11歳の時、トルコ外交官の父の新たな任地アメリカ・ワシントンにやってくる。そこは彼の大好きなジャズ発祥の国だった。
そして、トルコ大使館で働く黒人雑役夫クレオ・ペインにボクシング、ビール酒場、ソウル・フードについて教わり、ブラック・ミュージックに夢中になり、ハーレムを訪れることが夢だった。
願いは叶ったが、そこは外交官の息子(14歳!)。厳重な警備付きで連れ戻され、しばらく出入り禁止になる。
そして、黒人差別の法律が存在した当時、
「私たちには黒人の友人がたくさんいました。なのに、彼らと一緒にレストランで食事をすることも、映画を観に行くことも、劇場に入ることもできないのです。彼らと並んで外を歩くことすら許されませんでした。」
(アーメットの兄にして、共同経営者のネスヒ・アーティガン)
1944年、父の死後もアメリカにとどまることにしたアーメットは、レコード会社設立を決意する。
「レコード産業は急成長をとげようとしていた。(中略)それまでの空白を埋めるかのようにレコードの需要が急増し、音楽に関する知識など皆無に近い事業家たちが、こぞって新しいレコード会社を設立した。『そういう人々と会っているうちに、彼らが音楽のことを何も知らないことに気づいたんだ。』」
それから、ハーレムや各地でアーティスト(の卵)を探し、レコーディングの日々。
「アトランティックで作られるレコードの大部分は、典型的な『ブルース』ではなく、・・・『シティブルースとサザンブルース』の混ざり合ったものだった。彼ら(ビッグバンドに所属する洗練されたジャズミュージシャン)は伝統的なサザン・ブルースを「くだらないもの」と決めつけ、できればそんな音楽は演奏したくないと考えていた。しかし、その「くだらない」サウンドこそ、アーティガンが求めていたものだった。そうした音楽の方が商売になったからだ。・・・上品で洗練された彼らの演奏に、わずかでもいいからベーシックで粗削りなブルースの趣を加えてくれるよう頼んだ。」
徐々に台頭しだしたアトランティックだが、共同経営者の一人が陸軍に招集されてしまう。
そこで彼が招いたのは、「ビルボード」の記者であり、「『レイス・レコード』(人種音楽?)という侮蔑的な表現に代わって『リズム&ブルース』という言葉を生み出した」ジェリー・ウェクスラーだった。
この二人がアトランティックを発展させてゆくが・・・。
この本のすごい所。
1.関係者へのインタビューや内幕話。
アトランティックのプロデューサー&レコーディング・エンジニアであったトム・ダウド、最初の専属ライターだったドク・ポーマスを始め、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラー、フィル・スペクター、チェスレコードのレナード・チェス、サイアー(Sire)・レコードでラモーンズやトーキング・ヘッズらと契約し、マドンナと契約したシーモア・スタイン、エレクトラ(Elektra)・レコードのボブ・クラスノウ、スタックス・レコード(メンフィス・サウンド)のブッカーT&ザ・MGs、フェイム・スタジオのリック・ホール(マッスル・ショールズ・サウンド)、ラジオDJのアラン・フリード、ワーナーのスティーブ・ロス、そしてデヴィッド・ゲフィン。
1975年、ジェリー・ウェクスラーはアトランティックを退社し、現代の音楽業界の発展に絶大な影響を及ぼした、アーティガンとの22年間にわたる協力関係に終止符を打った。
「アトランティックは、ブラック・ミュージックのおかげでビッグになったわけじゃない。確かにブラック・ミュージックのおかげで成長し、安定を得たかもしれないが、それでビッグになったわけじゃないんだ。アトランティックがビッグになれたのは、ロックのおかげだった。ロックン・ロールじゃなくてロックだよ。」(ウェクスラー)
2.業界の成り立ち。
章タイトルが「チンピラとペテン師」「酒・賄賂・女」「マイアミで傷害事件、メンフィスで殺人」
「おかしな名前の連中」(通名というやつ。その筋の)から分かるように、著作権・出版・セール盤etcと暗黒街の関係。
「ブラック・ミュージックの周辺にはスキャンダラスな空気がたちこめ、それを嫌った大手レコード会社は、アトランティックも含めてますます、比較的「安全な」白人ポップスやロック・ミュージックに重点を置くようになった。」
3.本来主役のアーティスト達。
レイ・チャールズ、ソニー&シェール、ベン・E・キング、アレサ・フランクリン、ウィルソン・ピケット、パーシー・スレッジ、オーティス・レディング、リトル・リチャード、マディ・ウォーターズ、ソロモン・バーク、アル・グリーン、ルース・ブラウン、アイザック・ヘイズ、ジャクスン・ファイブ、エリック・クラプトン、レッド・ツェッペリン、バッファロー・スプリングフィールド、ローリング・ストーンズ、ビージーズ、イエス、フォリナー、ジェネシス、シュガー・ヒル、などなど話の中で出て来るが、あくまで商品というか濃い話の引き立て役とでもいうか。
「40年に及ぶアトランティックの歴史の中で、様々なスタイルの音楽が現れたては消え、多くのレコード会社が栄えては滅び、パートナーが次々と台頭しては姿を消した。・・・アトランティックの創立40周年を祝って、あらゆる勢力が集結した。ジャズ、R&B、ソウル、ロック。音楽のヴァラエティーは目もくらむばかりだった。しかし、それらすべてを結びつけていたのはアーティガンだった。(中略)
そのコンサートが実現したこと自体、ちょっとした奇跡だった。しかしそれもまた、アーティガンの見事な外交的手腕のおかげだった。」