単行本で出ていてずっと気になっていて、今年文庫化されたので読んでみた。
星新一〈上〉―一〇〇一話をつくった人 (新潮文庫)/最相 葉月

星新一〈下〉―一〇〇一話をつくった人 (新潮文庫)/最相 葉月

SF小説のパイオニア、ショート・ショートの生みの親
星新一の作品自体は中学生の頃に人にすすめられて読んだおぼえがあるが、
あまり作品内容は覚えていない。面白そうな人を取り上げた本だなと思った。
上巻の3分の1くらいは両親・家系について書かれているが、
父親が「大正から昭和の初期にかけて国内の医療用モルヒネを一手に取り扱うと同時に
全国で初めて薬品や生活雑貨のチェーンストア・システムを採用した巨大企業」星製薬の創業者で、
「戦前には衆議院議員、戦後初の参議院選挙では全国区でトップ当選を果たして」いて、
母親は、「人類学者で解剖学の草分けといわれる」小金井良精(よしきよ)の娘で、森鴎外の妹の娘にあたるという血統の良い家系なのだが、
父親の事業、親交のあった人々について書かれた箇所、
阿片、台湾、満州、後藤新平、廣田弘毅、杉山茂丸、内田良平etcを読んでいるとくらくらして、
”ショート・ショートの”星新一の本だったよなと何度も思いなおすことしきりだ。
恵まれて育ったように思えるが、父親の死後、負債だらけの会社を継ぎ、「経営的手腕もないし、
再建の意欲もなく」、社長を譲り副社長として、「銀行、税務署、債権者通い」の日々を過ごしながら、作家としてデビューする直前の経過を読むと、このころの体験からも純文学への違和感みたいなものが培われたのかもしれない。
「新一はこれまで接したことのない種類の人々と接しながら、自分の無能を思い知らされる屈辱に堪えていた。信用していた人間に騙される。助けようと手を差し伸べて来た人間に、掌を返すように裏切られる。新しくやって来た人間も、会社を本当に復興するつもりなのかわからない。(中略)誰が味方で誰が敵なのか。周囲の人間が信じられなくなっていたとしてもなんら不思議ではない。」
星新一の人生と並行して語られる、日本におけるSF小説の歴史。
日本人としてはじめて世界SF大会に招かれた矢野徹は神戸の写真店を営む1ファンであり、
同人誌活動から日本のSFが始まり、それに力を貸したのが江戸川乱歩であった。
SFがジャンルとして認知され、世間に広まるには人気作家が出てこなければというタイミング。
デビュー作「セキストラ」は江戸川乱歩創刊の雑誌「宝石」に転載された。
デビュー後、人気を得て、脚光を浴びるも、いわゆる文学界から低く見られ続ける不遇。
自身の芥川賞獲得後に、SF的な作品を発表し、星新一を支持した作家が安部公房だったのは興味深い。
「空想科学小説は、きわめて合理的な仮説の設定と、空想というきわめて非合理的な情熱との結合」
「原子爆弾を扱ったから、ロボットを登場させたから、SFとなるのではない。科学知識によって書かれるのがSFなのではない。科学技術用語をふんだんに採り入れたからSFなのではない。日常性を超えた発見への驚きの感情を読者にどれだけ引き起こしうるか。仮説を持ち込むことによって人間の存在がいかにひび割れ、安定感を失うか。その屈折した情景がどれだけ読者を揺さぶるか。」
(ゴジラとか、ウルトラ怪獣などもそうだと思うが)
「砂の女」等で世界的名声を獲得し、ノーベル賞候補にもなった安部公房もそうだが、御三家とよばれた筒井康隆、小松左京、後輩達の活躍・評価・受賞。
「五百編で止めていれば彼ら(O・ヘンリーら)と並ぶ世界的作家になれたのに。そんな声もあった。」
「本数が増えていくと必ずしも(駄作がない)とはいえなくなった。注文にあわせて枚数も調整するため、ときには間延びした作品も生まれた。」
「精選した完成度の高い作品だけを集めた短編集を一冊編めば、文学賞のひとつくらいとれたのにという人もいた。」
「賞よりも本が売れるほうがいいと公言しながらも、それはまぎれもなく、新一が編集者たちに不満を抱いていることの証でもあった。さんざん自分をおだてて駆使しておきながら、どこかでショートショートを軽んじている彼らへの抗議のようでもあった。」
そして、母親が亡くなったときのショック。
「新一は、会社整理の詳細や刑事告訴までされたペルーのツルマヨをめぐる事件など、一切を家族には伝えず自分一人で引き受けてきた。騙され、裏切られ、馬鹿にされ、無視され、傷つけられたすべてを
自分だけの箱に封じ込め、厳重な蓋をし、鍵をかけ、胸の奥底にしまった。」
「毎日、血の涙を流していたことを、胸が掻きむしられるような怒りを覚えていたことを、いのちをたとうと思うほど人生に見切りをつけていたことを、ほんとうは言葉にするべきだったのだ。ほんの少しでもいいから心情を吐露し、甘えてみるべきだったのだ。
だが、新一は、それをしなかったし、できなかった。」
ガンがもとで71歳で、1997年に亡くなった。
新一の影のように生きた異母兄の存在も印象的だった。
生前親交のあったタモリが笑っていいとも(とタモリ倶楽部)を継続しているのもなにか近い所があるような。(あだち充の野球マンガも近いような。同じモチーフでって所が。)
作家、編集者たちの集まりでも、発言・発想が光っていたようで、
「『鉄腕アトム』のアニメ用の原作を考えてほしいと虫プロの担当者がやってきたときなど、新一の第一声にみな驚いて、のけぞった。」
「アトムとウランちゃんの近親相姦ビデオを作ったらどうかな。合わせて二十万馬力だ。」