【内容案内】
「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」「キャタピラー」の若松孝二監督が、1970年11月25日に防衛庁内で衝撃の割腹自決を遂げた三島由紀夫と、彼と行動をともにした森田必勝ら楯の会の若者たちとの出会いとその心の軌跡を見つめた実録ドラマ。主演は「蛇にピアス」「ピンポン」の井浦新、共演に満島真之介、タモト清嵐、寺島しのぶ。学生運動全盛の時代。話題作を次々と発表し、ノーベル賞も取り沙汰されるなど人気絶頂だった三島由紀夫。彼は文筆業の傍ら、民族派の学生たちと親交を持つようになり、やがて独自の民兵組織構想を具現化する“楯の会”を結成、自衛隊と連携して訓練を重ねるとともに、来る決起の時を待ちわびるのだったが…。
【レビュアー】
先日(12年10月17日)、不慮の事故であっけなく没した若松孝二監督。反体制の硬骨漢だった。
彼は『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(07)で、あの時代の“左”の先端を描いた。それは、
新左翼への共感の淵を揺らぎながら、観察者に徹しようというギリギリの仕事だったと思う。
そして明らかな対を成すこの作品で、若松孝二はあの時代の“右”を象徴する、三島由紀夫と
「楯の会」を描いた。
ある意味、説明不足な作品ではある。三島という人間について、多くを説明していない。彼が
ひたすら、自衛隊の現状を憂う側面だけを切り取り、そこに至るまでの思想的葛藤は省かれる。
当時の世相状況も限定的にしか触れない。これは、全体像を描こうとしていない映画だ。
井浦新(ARATA)の三島からは、あの威圧するような迫力を感じない。三島がナイーブに苦悩する
面を強調してみせる。その演技をさせたのは、若松自身の温度の低さだったのだろう。 ともすれば
狂信的な解釈をされがちな三島と楯の会を、出来るだけ冷静に観察してみようという思い。
そして、どこか気持ちが揺らいで見える三島を煽るのが、森田必勝の一面的な純粋さだ。
楯の会となれば、この森田必勝と持丸博を描かないわけにはいかない。だが本作は持丸という
人間の意味について、あまり説明をしない。森田が「情熱」だとすれば、持丸は「理性」だった。
両輪が揃っていれば、事の顛末はまた、違ったものになっていたかもしれない。持丸が抜けたことで
楯の会と三島は、あの結末を選ぶしかなくなったのだから。
11・25 市ヶ谷駐屯地のシーン。低予算ゆえ、総監室とバルコニーでの2シーンしかないが、
この激しいシーンでも、若松の視点はどこか冷めている。ただただ、彼らの行動の「虚しさ」と、
楯の会の諦念を描く。これはしかし、「虚しいことをしたなぁ…」というよりも、「必死の思いが理解して
もらえない者達への哀れみ」のようなものかもしれない。
当時、演説を聞くように集められた若い自衛隊員達が、事情も分からず(無理も無いけど)ヤジを
飛ばし続け、三島が何度も「貴様ら、聞け!」と怒鳴るというシーンが印象深い。そもそも、当時三島
が完全に自衛隊の側に立っていたという事さえ、分かっていなかったのだろうか。せめて何言ってるか
くらい聞いてやりゃあよかったのに。自衛隊の現在と未来を憂えた三島の思いが届かない虚しさ。
新左翼達の行動と同じく、楯の会の行動も、日本社会に於いては、極端に向かうことを嫌うベクトル
に働いた。改革手段が強いほどに、無難に、保守的になろうとするのだ。その意味でも、彼らの行動の
正当な評価はされていない気がする。この映画も、「三島がこうせざるを得なかった」意味について、
分からせるものにはなっていない。
若松が描こうとしたのは、三島の「憂」だろうか。国家を憂い、若者を憂い、自らを憂いた、ひとりの人間。
激しく突き進んだ人生の中に垣間見える「憂」。 そして、若者達を引きつけた磁力としての「憂」。
…正直、あまり出来のいい映画とは思えないが、何か、残る。 『豊饒の海』を読み直したくなった。
http://www.dvd-book.com/ に行ってみようと思い、このサイトを一回使ったら、結構便利だし、礼儀マナーなども正しくて、気持ちよかったです。
お勧めします。