・菊池雄星  大谷の先輩

アストロズへのトレード移籍が成立


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東北選抜の一員に選ばれ、全国大会優勝に貢献。花巻東高等学校に進学

球団から登録名を「雄星」とすることが発表された。このため背ネームが「KIKUCHI」のユニフォームは入団発表で着用しただけで、キャンプからは背ネームも「YUSEI」となった。

2月16日には入学願書を提出していた東北福祉大学総合福祉学部通信教育部社会福祉学科に合格。


これは、野球選手を引退後もスムーズに働けるようにとの考えからである[23]。また、プロ入り後に大学に合格した例は極めて珍しく、プロ野球選手としての生活の傍ら、大学通信教育教育職員免許状を目指すとしていた[注釈 1][注釈 2]。同年の新人としては非常に注目され、かつ契約金等も高かったことから、その契約金を元手に「ぜひ後輩にも使ってほしい」との心意気で、3月24日には420万円の酸素カプセルを購入し、寮の自室に設置した。

しかし、部屋の一角を大きく占有したうえ、取扱説明書をよく読まずに操作したため、機械から蒸気が出て部屋の温度が30度という熱帯状態を作りだした揚句、故障したという[24]

シーズンでは左肩痛の発症により一軍登板はなく、二軍戦でも5月4日以来登板はなくリハビリに終始した[25][26]。オフにはホリプロとマネジメント契約を結び[27]、12月24日には本人の希望により登録名を本名の「菊池雄星」に変更すると発表された[28]

2011年はフォームをスリークォーターに戻し[29]、開幕一軍入りを果たす。中継ぎ投手としてベンチ入りするも登板機会は無く4月22日に登録抹消となった。



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