昭和60年8月12日、羽田発大阪行きの日航123便が群馬県の御巣鷹の尾根に墜落。乗客、乗員併せて520名もの犠牲者を出し、4名が重傷を負いました。犠牲者には歌手の坂本九さんもいました

御巣鷹の尾根

御巣鷹山への墜落というのは誤報。現在は御巣鷹山の尾根と改称)。

御巣鷹山へ続く峠

海抜2000メートル近い墜落現場

急峻な山道を谷へ向かってしばらく降りて行かなければならない。何回も足を踏み外し、転びながら下りていった。

尾根へと続く深く切れ込んだ谷底にたどり着くと、突然、あのジャンボ機の翼の下についた4つの巨大なエンジンのうちの一つが落ちているのが目に入った。こんな谷底に場違いな巨大なジェットエンジンが・・・

 

多くの人々の胸を躍らせるフライト――だが、ひとつ間違えば、大勢の命がいとも簡単に奪われてしまうという、大きなリスクが常に潜んでいるという現実をまざまざと見せつけていた。

 

 


https://toyokeizai.net/articles/-/610696?page=7


 


自衛隊は、墜落当日の夜に現場を確認しています。ところが、自衛隊から上がってきた墜落現場の情報は3地点、しかも位置にかなりばらつきがありました。

防衛庁(当時)の公式発表は御座山北斜面、御座山南斜面、扇平山の北側、御座山の東5kmと、次々に変わりました。

現場周辺の山は大混乱でした。報道陣の車が殺到し、山の上の一本道で鉢合わせすると、お互いに「どこに行くつもりだ!」、「現場だ!」と怒鳴り合っている。結局、そこが現場ではないことがわかると、みんなで山を下りました。



「御巣鷹山」とする誤報

「現場は御巣鷹山」の誤解が蔓延

御巣鷹山〟のかなり南方であることを確信した。

しかし、具体的に〝どこ〟なのか不明だ。そこは地図の端だった。

 現場を見に来た二人連れの森林組合の老人と遭遇した。

「私たちはどこにいるのか。教えてください」と迫った。

「ここは

タカマガハラヤマの東。

御巣鷹山はずっと北だ」

「この辺りのあちこちを、

御巣鷹山と呼ぶ」と曖昧なことを言う。

昔から献上鷹や矢羽根の採取を目的に鷹を捕獲する場所だったという。

本社ヘリに搭乗した。

本当の御巣鷹山(標高1639㍍)が遥か北の方角に見えた。

 本社に上がり「現場は御巣鷹山ではない」と報告した。

。①地図で確認する限り、御巣鷹山は現場から北に約2㌔(実際には1・7㌔)離れている。②現場は山頂ではなく、南から北に下る尾根。標高は1550㍍ぐらい。③強いて言えば三国山(標高1834㍍)から続く山系。④直近のピークは〝タカマガハラヤマ〟と呼ばれるが、地図に山名はない。⑤昔から鷹を捕獲する場所だったので、〝御巣鷹山〟と呼ぶ人もいる。

「高天原山(標高1979㍍)」を確定し、地図付きで報告できなかったことは、現地から帰投した私の明らかな怠慢だった。架空の〝警察発表〟は現場の確認作業を回避する逃げ口上であり、私もそれに安居した一人であった。

上毛警友・日航機墜落事故対策特集」が出版されたのは11月。拙稿はファクスがにじんで日付に狂いが生じて惨憺たる内容だった。が、約50人が執筆した特集の内容は記録性にあふれる。中曽根康弘首相の「激励」も掲載してA5版130頁。現場の表記は「高天原山系の無名尾根」に統一されていた。

『日航機墜落――123便、捜索の真相』を出版した。「墜落現場は御巣鷹山ではない」と繰り返し訴えた。「(県警発表の)御巣鷹山と三国山の中間点は決して御巣鷹山ではないのである」「誤りも甚だしい。初歩的ミスもいいところである」「伝聞の過程で情報が歪んでいく様子がよくわかる」とマスコミへの怒りの言葉を連ねた。

 北緯35度59分54秒、東経138度41分49秒。標高1565㍍。事故現場は黒澤丈夫上野村長の発案で「御巣鷹の尾根」と呼ばれている。しかし、国の運輸安全委員会が2011年に公表した「報告書解説」の表題は「御巣鷹山墜落事故」を踏襲し、況や「高天原山」ではない

事故現場の位置が人々に正しく伝わらなかったことは、世界最大の航空惨事のもう一つの不幸であろう。現場入りした報道関係者は1カ月間で約300人に上ったが、虚構の「御巣鷹山」を正すことができなかった。

定着した誤報は修正し難い。

視点を一寸変えると、

まことに恐ろしく思われる。


 



はふもとから6時間ほどかけて登っていったのですが、道なき道を登りきった




あの大きな飛行機がまったく原形をとどめていなかったことです。

翼が一枚だけ見えましたが、あとはただ残骸の山。

「本当にここにジャンボ機が落ちたのか」と思いましたね。

ジャンボ機が滑り落ちたところですね。御巣鷹の尾根に衝突したジャンボ機は斜面を滑り落ちて行き、そこにあった樹木すべてをなぎ倒しましたから。

機体は壊れながら谷底まで落ちて止まりました。そこがゴミの山のようになっていたのです。

。ボイスレコーダーは最後部のトイレの天井裏にあるんです。

実は生存者がいないことを確認したら、国際機関の事故調査マニュアルでは現場を保存するために遺体を動かしてはいけない

後日、米国の調査団から文句を言われましたが、私どもは「日本はブッダの国だ。遺体を放り出したまま仕事をするなんてことはできない」と反論しました。

(抜粋アップ)